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”自分の感受性”を大切にすると人生が楽になった

大好きな詩がある。

自分の感受性くらい 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子
詩集「自分の感受性くらい」(1977刊)所収

私がこの詩に出会ったのは高校生のとき、たしか現代文の教科書に載っていた。

はじめは全然意味を理解できなかった。なにが言いたいんだろうって思ってた。それどころか当時17歳、反抗期真っ只中の私は最後急に投げかけられた「ばかものよ」に対して無性にムカついてしまっていた。(本当にごめんなさい)

でも、今ではこの詩に出会えたことに心の底から感謝している。
もう数え切れないぐらい救ってもらったからだ。

正直、私の大学生活は思うようにいかなかった。
初めての一人暮らしや高校とは全く違う大学の講義、自由で刺激的で確かに楽しくて、素晴らしい出会いもあって、行って良かったと思ってる。でも、4年間を通してみると辛くてしんどい感情の方が多かった。

ざっくり言うと人間関係や漠然とした将来への不安、一般的にモラトリアムと呼ばれるこの期間は本当に悩みが尽きなかった。

ちょうどコロナの期間と重なったこともあり、ひとりで家の中にいると頭の中を駆け巡る不安に取り憑かれて、なにもかもうまくいかず負のループに巻き込まれ、気付けばまともに生活すらできなくなっていた。

そんなこんなで周りの人の協力もあり、とりあえず生活できるくらいには復活したある日、友達とLINEで何気ない会話をしてると送られてきた。

(高校からのめっちゃ尊敬してる友達、今度この子についても書きたいな〜)

懐かしすぎてすぐに調べ、
改めて読むともう痛いぐらいグサグサ刺さった…

そして、なにもかもがうまくいかなくなってた理由に気付いた。
それは全て周りの人に矢印を向けていたからだ。
うまくいかないこと全てに対し、「あの人がこう言ったから」「あの人がしたから」「あの人が…」「あの人が…」と他責だったし、
友達に良くみられたい、だらしないところとかダサいところ見せたくない、とか周りの人からの評価ばかりを気にしていた。それが全てだったと思う。

周りの人からの評価=自分の価値

だと本気で思っていた。
そりゃメンタル不安定になるよな、と今は思える。

コントロールできない「周りの人の評価」で「自分の価値」を決めてしまうって、常にグラグラしていて安定するわけがない。
自分の価値は自分にしかわからないし、他人が介入すべきことじゃない。簡単に揺らぐものでもないと思う。

他人に矢印を向けるのではなく、自分自身に向ける。
他責ではなくて自責。他人軸じゃなくて自分軸。
こう考えるようになってから、人生がかなり楽になった。
(このあたりの考え方についておすすめの本の紹介もしますね)

”自分の感受性”に目を向け、大切に育てて世話をし、守る。

懸命に生きることを止めたとき、他者とのつながりを見失ったとき、愛することを諦めたとき、人は「水やり」を怠るのだろうと思います。

別冊NHK100分de名著 読書の学校 若松英輔 特別授業『自分の感受性くらい』

私はまだまだ未熟なので、普通に他の人にイライラしてしまうこともあるし、他責思考になっていることもある。他人に認められたいときもある。

でもそうなってることに気付く度にいつでも読み返せるように、この詩を紙に書いてお守りのように毎日持ち歩いている。そうすると自然と背筋が伸び、大切なことを再確認できる。こうして何度も救われてきた。

これから先もお世話になります🌷


私の大好きな詩について、好きな理由をこのnoteに残しました。
長くなりましたが、拙い文章を読んでくださりありがとうございます。

私はこれからも大切に自分の感受性に向き合い、育てていこうと思います。ひとつでもなにか感じるものがあれば嬉しいです☺️


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