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幕引きの手前

数時間前、ふと感じたことがある。

今の職場の人達となにかが合わなくなった気がする。

これは重大事件。
元々自分とは合わない会社だなとは思っていたのだが
今日の午後、突然幕引きの予感がした。
この全ての感覚を忘れないうちに記録したくて久々にnoteを開いた。

ここに浮上していない間も、それなりに色々なことがあった。

「40歳の時になっていたい自分像」というものがワタシにはあって、それに向けて試行錯誤するであろう30代のあれこれを記録に残しておきたくて始めたこのnote。
だからここに書く文章のほとんどが、社会生活や自分の働き方についてなのだ。

まず↑あの記事を書いてすぐ、コロナだなんだで接客業の方は退職をした。
もう一つの事務の仕事は幸いにも年中忙しく、コロナ禍でも影響を受けなかったため、この約2年半はここで週4日フルタイムで働いていた。

そうした紆余曲折を経て、昨年の11月より先輩にお誘い頂きダブルワーカーに戻った。
平日午前は先輩の所へ、この2年半フルタイムでお世話になっていたところへは平日の午後に時間と日数を減らして行っている。

そもそもこの事務のアルバイトは、なんとなくだが「やって3年」と入社時に決めていた。(辞める前提で働くのは失礼な話だが…。)
次の4月にその3年がやって来る。4年目に突入してしまう。

”なんとなく”と書いたが、当時流行りだしていたコロナによる世界情勢を見て、「なんとなく2023年までは身動きが取れなさそう」と感じたのだ。
だからその間の3年はここで生活に必要なお金を稼がせてもらいながら、自分の将来のために必要なスキルや資格を習得する時間に全振りしようと思っていた。少しやり残しがあるが、ほとんど達成できたと思う。

そしてやって来た2023年。
海外旅行も数か月前から解禁し、だんだん世界が開けて来た。
ワタシの「なんとなく」はなんとなく当たっていた気がする。

いつか友達に「副業だけを何個もしたい」と話したことがある。「本業って概念を持ちたくないんだよね」と。
これもなんとなく思っていたことだが、社会全体がなんとなくこうなりつつある気がする。

ワタシは昔から「普通」があまり分からないのだ。
大人になった今はちゃんと理解はしているが、自分がそうなりたいとは元来1ミリも思ったことがない。多分普通じゃない家で育ったから。
普通が分からないと言うよりも「普通の”良さ”が分からない」と言った方が正しいのかもしれない。

もう少し踏み込んだ話をすると、精神的に”ひとつの場所に留まる”という感覚がそもそもワタシにはあまりない。
これは、信じ続けた結果盛大な裏切りに合い、ほとんどのものを失くした人を間近で見て来たからだと思う。

この世の中に精神面で「絶対」や「安全」を永続的に提供してくれるものはないと思っているし、あっても一時的なもので、なくなる時は一気になくなる。

悲しい思考と思われるかもしれないが、他人に自分の人生を託すくらいの過度の期待はしてはいけないのだ。

会社にいたからといって、有事の際に会社は社員を助けてくれるだろうか?自分のことを放り出してまでも守ってくれる上司や同僚ははいるのだろうか?

結局、自分のことは自分で守らないといけないのだ。

だから「就職したら安心」とか「結婚したら安心」とか言う言葉は信用していない。会社や社会に自分の心と人生を丸投げせず、転んでも自力で立ち上がれるような自分でいたい。自分の人生に責任を持って自分で生きていたい。

リーマンショックの時はドンピシャで就活の年で、友達の何人かは内定取り消しいなっていた。フリーターをやるしかなくなった子、学歴や成績がよくて振るいにかけられずに済んだ子、再度内定を勝ち取った子。

普通の良さが分からないワタシは、みんなで同じ格好をして同じことを言う就活の意味も、就職できたら人生安泰という理屈も全く分からず自らフリーターになった。(今だに「自分、世間知らずだな」と感じる瞬間は多々あるが、それなりに社会人経験を積むことができた前職には感謝している。)

あんな状況の中で「それでも就職がしたい」と頑張り続けていた友人達を素直に”すごい”と思う反面、「そんなにまでする必要があるのか」とも思っていた。心も体もボロボロになってまで勝ち取った会社が明日なくなるかもしれない、そんな時代だったのだ。

そして昨今の終身雇用崩壊や副業の解禁で「本業の概念」は本当に薄まって来ている。
”一つの場所に精神的に留まる美学”はもうなくなりつつあることに気づいている人は一体何人いるのだろうか。

ワタシがこの2年半せっせと勤めてきた会社は、毎年新年度になるとワンマン社長が(物理的にではなく施策的に)暴れ回り、その度に現場の社員が振り回されている。今年度もなんやかんやと色々な問題が起きた。
と同時に「もう本当に無理」「辞めようかな」といった言葉も当たり前のようにあちこちで飛び交う。

でもみんな辞めないのだ。

社長の一挙手一投足に毎日振り回されて不安で疲弊しているのに
次の日もそのまた次の日も普通にやってきて仕事をする。
そして就業時間の大半を辞めるだの辞めないだの言って過ごしている。
これがワタシには全く意味が分からないのだ。
時間も無駄だし、精神衛生的にも非常によろしくない。

・毎年あるなら来年も起きる
・また同じことを繰り返すのが目に見えて分かっている

入社して2年しか経っていないアルバイトのワタシでさえも分かるのに
みんなは分かっていないのだろうか?とさえ思えてしまう。

ただのバイトと社員、子なし家庭と妻子持ち家庭、30代と40代50代

確かに持っているものの重さは違うかもしれないが、だからこそだと思うのは普通が分からない者の考えなのだろうか?
だとしたらやはりワタシには”普通の良さ”は分からない。

2020年頃から言われている「二極化」。
アフターコロナの新時代からは”こちら側”と”あちら側”がはっきり分かれるらしい。願わくば”こちら側”の人間になっていたい。
どちらがよくてどちらが悪いはないと思う。ないとは思うけど、時代の流れには乗っていたい。

今日の午後突然感じた”なにか”はきっと、この会社にいる人達の世界線に自分はもうこれ以上心も体も留まれないということ。留まれないし、染まれない。

そんなわけで、突如幕引きが目の前までやって来た。

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