英語は対話のための道具?うるせぇし。
わたしの言葉遣いは悪くない、お下劣な言葉は日頃から避けている。
なんだけど、「うるせぇ」って思うことがある。
約11億人が英語を第二言語、または外国語として使用していると言われています。もちろんのこと、使用率は世界第一位。
※数値は文献によりけり…
英語を使う場面は非常に様々で、ビジネス、教育、国際関係、海外移住、または趣味の一環として、英語の学習を続けている方もいるはず。
そして、私もそのうちの一人。
そう、英語を使う場面は人それぞれなのだ。
でもさ、そこの英語学習者さん。
一度はこの言葉に出くわしたことがあるのでは…?
"English is merely a tool of communication."
「英語は単なるコミュニケーションの道具だよ。」
「英語が読める?それだけ?話せないなら意味はないよ。」(嘲笑)
率直に物申すが、
「え、貴様。私の人生における外野のくせにうるさくない?」
英語は話せた方がいい。わかる。場合においては。
わたしも話せるようになりたい。切実に。
義務教育における英語学習を終えたのち、社会人になってから独学で英語学習を再開したわたし。そこに深い意味はなかった。当初は、大きな目的や目標さえもなかった。ただ単に、何かを変えたかったんだと思う。本当にそれだけ。
気づいたら、英語学習を再開してから 1年と8ヶ月 が経っていた。
この期間を短いと捉えるか、はたまたよく頑張ってるねと捉えてもらえるかは、人によるもんだと思う。どっちでもいい。
英語を単なるコミュニケーションの道具だと捉えるならば、私の英語力は底辺だ。全くもってビジネスの場では通用しないだろうし、対話する相手を不快な気持ちにさえさせてしまうかもしれない。
でもね、この 1年と8ヶ月を経て一つ気づいたことがある。
わたしは、英語に触れている時の自分が好きなのだ。
元々日記を書く習慣はなかったのだが、英語学習の一環として英語日記を始めた。この1年と半年間、以前よりも自然と自分自身と向き合う時間が増えた。
自分の抱えている考えや思いを咀嚼し、表現する。限りのある英語で。
私は、次第にこの行為に趣を感じ始めたのだろう。
日本語と英語。
発音も語順もまったく異なる。言語の成り立ちから、特有の文化までも。
だからこそ、英語で文章を書いているときのわたしは、なんだか別種にでも変身したかのような、そんなファンタジーを抱いてしまう。
英語を通して、わたしは自分の中のもう一人の自分に会いにいく。
わたしにとっての英語とは、私の魅力を引き出す道具である。
日本語を扱う時の自分とはひと味、ふた味も違う自分を垣間見る。
"English can open up various possibilities/opportunities."
ってよく耳にしますよね。
自分の言葉に言いかえるなら、そうだな〜
"English can bring out another charm in me, even ones I haven't noticed."
かしら。すごく、良ッ……!(この世は自己満足の世界)
物事には、向き不向き、得手不得手がある。
英語学習においても、偶然「すき」が重なれば、たぶん、あまり苦労を感じずに続けられるのだろうなとおもう。
やりたいから、やらなきゃいけないから。
すきだから、すきじゃないのに。
そこにどんな形容が付いたとしても、
英語を勉強する理由なんて、なんだっていいじゃない。
英語が好きって公言するのも、自由でいいじゃない。
アニメが好きっていうとき、何作品見た=好き。とかさ、
音楽が好きっていうとき、何曲知ってる=好き。とか、言わないじゃない。
だから、言語が好きっていうのも
テストの点数を基準にするの、やめよやめよ〜。
文章がだれてきたので締めます。
要するに、英語学習はもっと自由でいいわよね。
そこに何を見出すかなんて、人それぞれ。自己満足でいいのよ。
Thank you for taking your time to read this ;)
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