翔 (かける)

日常の中で溢れる言葉を切り取る場所。

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日常の中で溢れる言葉を切り取る場所。

最近の記事

今日が終われば

2020年 12月31日 (木) さようなら。これから一生出会うことが出来なくても、一生忘れないから。 世界に大きな変化が訪れ、君は何を想うのだろう。たとえ後悔があるとしても、残酷なことに時は流れ続けてしまう。 でも十分だから、託せるものは託して、あとはゆっくり休んでください。 明日からの新しい君はどんな顔をしているだろうか、どんな日々を僕に贈ってくれるのだろうか。 そして、どんな日々を贈り返せるだろうか。 今日の君へ、今までありがとう。明日の君へ、よろしく。

    • 物語には終わりがある

      2020年 12月30日 (水) 仕事納めの今日、風の元気が良い。帰り際、年終わりの挨拶を済ませて店の扉を開けると、冷たい風が身体中を包み込む。 僕にとって、誰にとっても最初で最後の2020年が終わる。自分に中にある言葉の大切さに気付き、初めて迎える年の終わりに感じる1番の感情は寂しい、です。 新しい年への高揚よりも、去っていく年への寂しさが募るのは何故だろう。 後悔があるから、未練があるからではなく、単純に愛おしいから離れ難いのだと思います。 愛したものとの別れは

      • 共鳴

        2020年 12月29日 (火) 誰にも言えない秘密は誰しも持っているだろう。自分を覆してしまうような、親友にも、はたまた家族にも口にしていない秘密が。僕にはある。 見えない部分があるのもまた人の魅力の一つで、近しい人にも謎の一つや二つある方が興味が湧くものです。 光に満ちた人生を期待するものの、何処かで必ず闇を抱えて、知らず知らず生きているのが僕たちで、闇は光に包まれ、姿を隠していても、ふと振り返ると確かに闇は居る。 でも、闇が居るから光が居るわけで、何事も相反する

        • 時を共に

          2020年 12月28日 (月) 新年を迎え、忘年会をしたい。 年の苦労を忘れ、労う会ではなく、これまで過ごした年を忘れないため、そして来る年を忘れられないものにするための忘年会を。 という意味からすると、人との食事は毎度忘年会だと言える。僕と沢山の忘年会をしましょう。 貴方の人生に僕の記憶を、僕の人生に貴方の記憶を。 こんな事を書いていると何だか寂しくなり、人が恋しくなる。 僕は今日も、貴方たちが居るから生きていられます。 いつもありがとう。

        今日が終われば

          王手

          2020年 12月27日 (日) 正しいことが何か分からないから、何でもしてしまえば良い。 正解に溢れている世界は、正解の分からない世界になりつつある。 誰もが戸惑い、生き方の正解を探している。探すのはやめにしよう、自らの選ぶ道を正解にしてしまおう。 “生きる”ことにおいて、行動を起こしやすい局面に入っているから、次の一手をどこに置こうか、それだけを考えている。 変化を恐れるのではなく、変化を楽しもう。それでこそ、人生じゃないですか。

          この鼓動が止まるまで

          2020年 12月26日 (土) 言葉が滞る。言葉の扱い方、言葉の探し方が分からなくなる時がある。言葉への執着があるからこそ、言葉に悩む。 インターネットの普及で、何でも知れるのではなく知れてしまうから、生きることで起こる失敗や間違いが少なくなっている。簡単に正解が分かってしまうから、正解とされるものが蔓延してしまうから、夢を見ることが無条件に悪と捉えられる。 本当の悪は何処にいる。 夢を諦めることが当たり前の世界になっている世界を可笑しいと思う人はどれほどいるのだろ

          この鼓動が止まるまで

          心の引越し屋

          2020年 12月25日 (金) 風は心を運ぶ。今日は冷たくも心地良い風が「和」を運んできて、心が落ち着いている。 時に「闇」を僕の外に運んでくれる。 時に「癒」を僕の中に運んでくれる。 時に「悩」を僕の外に運んでくれる。 時に「光」を僕の中に運んでくれる。 時に、「幸」を僕から奪っていく。 時に、「迷」を僕に押し付けてくる。 風を通じて心は巡っている。貴方から幸せを分け与えられ、貴方が乗り越えた壁が僕にも待ち受ける。ならば僕も貴方と同じように乗り越えて

          心の引越し屋

          思い出の味

          2020年12月24日 (木) いちご味のお菓子から苺の味はしない、いつ誰があの味たちをいちご味と名付けたのだろうか。いつから僕たちがあの味を疑いなく口にするようになったのか。 かき氷はシロップの味の違いが殆どないから、目を瞑って食べると何味か分からないらしい。人は先入観や記憶の補正で味が変化する。 だったら、自分の好きに何もかも変化させることが可能だと思うけれど、もう歳を取りすぎていてどうしようもない。 でも、小さな気付き、小さな疑いは持ち続けるべきで、小さな何かが

          思い出の味

          縁の下の力持ち

          2020年 12月23日 (水) 生きていれば死が訪れることと同じように、光があれば影が生まれる。命にはいつも影がある。 偶に、僕の影が僕に付いて来ているか、僕の影に僕が置いていかれていないかを気にしている。影は一生を共にしてくれる数少ない存在で、僕の全てを知る者。 僕が君を見ていない間に、眠っている間に、君は何処かに旅をしているかい、しておくれ。夜は君の舞台、明かりに照らされることなく、しがらみのない世界を自由に遊んでおいで。 でも、陽の光に照らされ、目を覚ます頃に

          縁の下の力持ち

          終わりなき旅

          2020年 12月22日 (火) 僕はこの世に存在する言葉の何%を知っているのだろうか。僕の心を、人々の心を表現し得るだけの言葉を僕は持っていない。 人生は言葉を集める旅といっても過言では無い。言葉が幸せを生み、悲しみを生み、すべての感情を生み出す。 言葉も生きていて、温かさや冷たさを持っているから、命を大切にするんです。 今は顔を合わせずとも、名前を知らさずとも言葉を届けられてしまうから、言葉の命が雑に扱われる。心無い言葉が飛び交うことも増えている。 いつでも誰

          終わりなき旅

          「君に導かれる」

          2020年 12月21日 (月) 君はいつも僕を待たせる。 急いでいる時も、そうでない時も、幸せな時も、悲しい時も、どんな時だって。 どれだけの時間を君と一緒に過ごしているだろう。 君がいなければと、君の存在を無いものにしてしまう時もあるけれど、それでも君はいつも僕を守ってくれている。 君がいなければ、僕の人生は危うくて、脆いものになる。僕には君が必要です。 だから待ち続ける。「青」に変わるその時まで。

          「君に導かれる」

          「光り」

          2020年 12月20日 (日) 太陽の光も、星の光も、僕たちには「過去」が届いている。君たちの「今」を見ることは叶わないのだろうか。 君たちがいつまでも寂しい想いをしないように、照らし続けてくれる君たちの為に、僕も命の限り輝いて光を届けるよ。 人々の願いが叶う日が、命を全うするまでに訪れることを祈っている。 命の役目を果たしたその時には、君たちに逢いに行くから。 そして、新たな星となり、君たちが照らしてくれたように、僕も貴方たちを照らす光になる。

          「僕」と「君」

          2020年 12月19日 (土) 空と海は「鏡」だ。 空から心地良い風が届く日には、海も気持ち良さそうに凪いでいる。空から雨が落ちてくる日には、海も黒く染まり、怒り、憎しみを露わにする。 空と海は「双子」だ。 空が笑えば海も輝き、空が涙を流せば海も悲しみに暮れる。 空と海は「兄弟」だ。 白から黄、赤、青、黒まで様々な色で、無邪気に遊び、時に拗ねている空を懐の深い海はいつも変わらず包み込む。 空と海は「希望」だ。 闇に包まれる空もいつかは明るく僕たちを照らし出し

          「僕」と「君」

          word is money

          2020年 12月18日 (金) 言葉には価値がある。新しい言葉との、文字との出逢いに心を躍らせて、僕の手は頁を捲る。 言葉、文字に価値があることを知る人間は、悪口を言わない。 命の役目が終わる日を悟ると、人の言葉は美しくなると耳にする。それは、遺すことのできる言葉、文字が限られていて、より慎重に大切に言葉を紡ぐから。 心無い言葉を放つ暇なんてない、愛を伝えることに自らの全てを捧げる。 僕の人生もいつ終わりを迎えるか分からない。僕の言葉はあと何文字残っているのだろう

          永遠の悩み、「普通」

          2020年 12月17日 (木) 言葉は変化しない。 「きゅんです」のように新しく生まれる言葉はある。「おこ」という言葉から「激おこ」や「激おこプンプン丸」が生まれたように進化、派生することもある。 けれど、言葉が単体で変化して生まれ変わることはない。言葉の数は増えることしかない。長い年月を経て定着したものを変化させることは言葉に限らず難しい。 明らかに無謀なのは分かるけれど、世の中の言葉を変化させてみたいと思う。僕が最も変化させたい言葉は、恐らく一生「普通」で

          永遠の悩み、「普通」

          疑問の羅列

          2020年 12月16日 (水) ティッシュペーパーとトイレットペーパーは何故分かれているのだろうか。同じにしてしまえば勝手も良くなるのに。分かれたきっかけを教えて頂きたい。 世の中の鍵は全て異なるのだろうか。何処かの家の鍵で、自分の家も開けられるということはないのだろうか。 座布団は座る布団だから座布団なのに、布団は何故寝布団ではないのか。座椅子も然り、椅子は全部座椅子です。座が完全にゲシュタルト崩壊しましたが、気にしない事にします。 これはみんなが通る道でしょう。

          疑問の羅列