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今だからこそ、この作品を知っていてほしい。 『パンドラの匣』 太宰治

 死を暗く真っ黒いものと捉える前に、──。

『パンドラの匣』 太宰治

 光がこぼれる青い春。結核療養所という生死と隣り合わせの舞台にもかかわらず、それを憂鬱に感じさせず爽やかな読後感を運んでくれます。感染症、生命や死を題材としているのに、淡く甘酸っぱく青臭く、それでいて眩しいのです。

 太宰治は死生観が暗いんでしょ?
 そう認識している方にぜひ存在だけでも知っていてもらいたいです。

 個人的に印象に残ったお気に入りな文章を一部抜粋していきます。ほんとうは他にもあるのですが。

"よいものだと思った。人間は死に依って完成せられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸しがいだ。完成も未完成もない、ただの無に帰する。人間はそれに較べると、まるで逆である。"
『パンドラの匣』ー 太宰治
"人間は、死んでから一番人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。鳴沢さんは病気と戦って死んで、そうして美しい潔白の布に包まれ、松の並木に見え隠れしながら坂路を降りて行く今、ご自身の若い魂を、最も厳粛に、最も明確に、最も雄弁に主張して居られる。"
『パンドラの匣』ー 太宰治
"死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑が身に沁みる。"
『パンドラの匣』ー 太宰治

 もちろんそれぞれにお話の文脈が関係しますが、ご遺体が運ばれる場面では光に満ちています。美しい描写だと思いました。人間への尊厳が強く出ています。

 実は私は、人が病気になる題材があまり得意ではありません。その中で恋愛などが絡むと涙を誘うことが目に見えていて耐えられないからです。

 例えば仄暗い病室で余命を迎え「逝かないで」と嘆くような家族愛、素晴らしいけれども私には受け入れ難く。身近に病死した親に友人、闘病している配偶者がいるからか、正直お腹がいっぱいになってしまいます。

 涙を誘うなとは言わない。美談にするなとも言わない。人の死を真っ黒いものとして捉えられることが苦手なんだと思います。

 けれど、この『パンドラの匣』には心惹かれ、読み進めていました。淡い青春や思春期特有の感情も含まれているものの、それは生々しい葛藤や女性に対する意識、嫌悪感。繊細な心情描写が素晴らしいと思います。


 そして最後はこうして締められます。

"あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓つるに聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
 さようなら。"
『パンドラの匣』ー 太宰治

 眩しくて前向き! 耽美!
 その蔓がひときわ輝いて後光を放つ幻想的な景色まで視えてきます。美化した幻覚かもしれません。好きだからそう映るんだと思います。

 執筆した本人がどんな性格であれ、ああなんてこと、とは痛むけれど、失格だなんて思いません。素晴らしい作品を後世に残してくれてありがとうと言いたいです。

『パンドラの匣』 太宰治
ぜひこのご時世に読んでみてください!

 私はこちらの『正義と微笑』と2作品が入っている新潮文庫さんのものを所持、おすすめしています。

 青空文庫さんでも読めますよ!
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1566_8578.html

 思春期や青臭い人間の渦巻いた感情を厭らしく表現する太宰治には圧倒されてしまいます。女性視点の透きとおるような『女生徒』も好きです。

 ちょうど昨日、偶然にもTwitterで太宰治の『葉』の一節が話題となりました。
 今だからこそ、彼の文章がすっと心に沁みるのではないでしょうか。

"死のうと思っていた。 今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。"
『葉』太宰治

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