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宝箱のような

今日、初めてnoteを使ってみる。

私は基本的に文章を書くのが苦手だ。自分の中に伝えたい言葉はたくさん浮かんでくるのに、いざそれを書き記すと何故だか納得がいかなくなってしまう。言葉が散らばって、どこかに行ってしまうのだ。

けれど、今日、私はnoteを始める。私の為に。何を記していくのか、まだ決めてはいないけれど、まずは簡単に自己紹介をしていこう。

名前は、ひとまずいまのところ、彼方(かなた)にしておく。私は名前を考えるのが好きだ。私が高校生の頃、初めてTwitterを使った。ユーザーネームは、本名とは全く関係のない名前だった。当時、Twitterは学校の友人とのコミュニケーションツールだった。周りの友人はみな、アカウントに鍵をかけて、同じ学校の友人と繋がっていた。

どのくらい多くの友人と繋がれるか、が指標のようなものになっていて、フォロワーが多い人がヒエラルキーのトップに君臨するような、そんな感覚だった。けれど、私はそれが嫌いだった。だからこそ、わたしは自分のハンドルネームは、あえて、自分だと友人に知られないものにしていた。

そこには、私なりの見栄や、プライドが存在していたのかもしれない。

当時の私は、とても見栄っ張りだった。平気じゃないのに平気なふりをしたり、飲めないコーヒーを無理して頼むような、そんな学生だった。

だからか、名前を変えることで、自分自身を変えることができるような、そんな気がしていた。

高校の頃の記憶に思いを馳せると、付随して必ず思い出すことがある。
当時、私にはとても好きな人がいた。その人のそばにいたくて、勉強も頑張った。その人の存在をいつでも感じていたくて、その人が好きなものを私も好きになった。その人は、何も知らないあの頃の私の、すべてだった。

夏。その人は、夏が一番好きだった。夏の暑さ、夏の香り、今でも私は、夏が来るたびに、彼を思い出すのだ。彼が好きだった夏は、あの頃の夏は、私の人生の中で一番輝いている時だった。

猫。彼は、猫を飼っていた。名前は特になかった。けれど、その飼い猫とじゃれるときの彼を見ているのがとても好きだった。昔、私の事を「猫みたいだ」と言っていた。その言葉は、今でも私を縛り付ける枷になっている。

多分、他にもたくさんあったはず。あったはずなのに、ほとんど思い出すことが出来ない。どうして人は、記憶を永久保存することが出来ないのだろう。

どうして、大事な記憶を忘れてしまうのだろう。


私は今日、noteを始める。自分の中の大切な記憶を、残しておくために。
忘れないために。こうして記しておく。
noteは、まるで宝箱のようだと思った。色んな人の色んな思いが、たくさんの作品が詰まっている。私も、私の宝箱に思い出を一つ一つ入れていこう。
大事にしまっていこう。決してなくならないように。


彼方


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