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デジタル世界の中に生きる、それは確かに私なんだけども


見れば見るほど気になる。
その場の反応に一喜一憂する。
頑張りたくなったときには、余計に気になってしまう。
心の安定にはよくないと思いながら、やってしまいがち。


趣味が高じて、ちょっと頑張ってみようかなと思ったインスタグラムでの発信。一人暮らし時代には1年半でフォロワー数は1万人超えに。
二人暮らしになってからというもの、その数はみるみる減っている。

このまま頑張るのはやめて、見てもらえる数とか全く気にせずゆるくやろっかな~~とか思いながらも、もっと多くの人に届けられたらという欲も捨てきれず、現在進行形で試行錯誤している。
でも一向にいい兆しは見えず、むしろ空回りしていてそんな自分が嫌になってきている。

現代人は一日何時間スマホと向き合っているんだろう。
SNSの類はLINEだけの母親に聞くと1時間ほどだと。
インスタのみならず、ツイッター(今はエックスなのか?)、note、Youtube、スレッズ、LINEなどを行き来し、合間に調べものなんかしてたら、一日家にいる日なんて余裕で5~6時間触っていたりする。

スマホを触ること、特にSNSは暇つぶしに最適だ。いい情報や人に出会えるし、SNSを通じて仲良くなった友人だっている。時間を消費し、目疲れし、時に色んなもやもやを抱えながらも、その恩恵は大いに受けている。

SNSが悪いのではなく、向き合い方の問題。それはわかっている。


以前、文筆家の塩谷舞さんが対談されるとのことで知った「スマホ時代の哲学」。帯には“つながっているのに寂しい、「常時接続の世界」を生き抜くために”と書かれている。
この帯に惹かれて対談を視聴し、ようやく書籍を読み終わった。

ほとんど見えないけど、めちゃくちゃ付箋を貼ってる🫢



Z世代の狭間にいる私は学生時代からコミュニケーションツールはLINEとTwitterがあって、家にいる間も友人と繋がれる状態であった。その場の雰囲気と流れのメッセージのやり取りによって時間を溶かすことも経験したことがある。
隙間時間を埋めるようにスマホを眺め、時には承認欲求得るためにSNSを使っている。確かに誰かと繋がっていることこそ価値があるようにも感じる。
でも、何かを生産しているわけでもなく、ただSNSで時間を埋めているときにふと我に返ると「何をしているんだろう」と思う。目の前ではなく画面上の世界に注力している私を俯瞰してみると「寂しい」のかもしれないと思う。

ふと、余白のある時間ができると何もしていないということにそわそわして、おもむろにスマホに手を伸ばすことなんて日常茶飯事。
たまにそれにも疲れて、デジタルデトックスをしたくなる。
デジタル世界から離れて、目の前の日常に目を向け、誰に見せわけでもなく自分のためにつくったごはんを食べたり、植物を愛でる時間で自分を取り戻す。きっとこれは本の中で言われる「孤独になる」ことなんだろうなと思う。
そんな時間があって初めて、いかに日常生活から目を逸らして、小さな変化や自分との対話の時間を逃しているんだろうと気づかされる。



昨今、スマホ時代は加速しつづけていて、コンテンツで溢れかえっている。簡単でキャッチーな言葉ほど目を惹き、どんどん刺激的な言葉で溢れている世の中だ。白黒はっきりしていたほうがいいし、わかりやすいほうがいい。そう思わされているような気がする。
このことの危うさについても本の中で指摘されている。

言い換えると、満足に至るまで時間がかかるもの、必ずメリットが得られるとも限らないもの、満足を得るにはいろいろと学ぶ必要がかるもの、精神的・時間的にコストがかかるものが見向きもされなくなり、前提知識がなくても誰でも乗っかれて「いいね」「すげー!」「かっけー!」と言えるような、直感的に共感されやすいものが話題にされ、社会の前景を占めていくということです。

p45./谷川嘉浩/スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険 (太字は私によるもの)

本当は深みのあることなのに、わかりやすく簡単にまとめられている(その中には私的な考えも含まれていることもあるのもしばしば…)ことがあることで上辺だけの薄っぺらい情報だけが出回っていることにもやもやする。

ただ流れに任せてスマホに提供される情報をジャンクフードに手を伸ばすように摂取し、知った気になるのではなく、根っこにある本質まで気を届かせられたら…
SNSを多用し、それ故に流されて生きている心地のする私だけども、どこかでそう思い続けている。


他にも本の中では、「自分の頭で考える」ことについてや「自分の心に従う」ことの危うさ、孤独と趣味とは、「モヤモヤ」を抱えておく能力、などなどなかなか気になる話題が目白押しだ。
私が上半期出会ってよかった本の1つだ。



SNSの中にいる私は確かに私だ。
だけど、わかりやすくて、SNS上でウケる自分を演じることが続けば、もっと複雑に感じている「わたし」を押し殺してしまうことになるだろう。

うまくいかないからと言って、自分には似合わない反応がよいとされるようなことを積み重ねて、もやもやして疲弊する。これは私が本当に求めていたことなのだろうか。
この文章を書きながらも、伝えようと思うとやはりわかりやすい言葉を選び、本当の気持ちではないけれど、”そういうことがある”ということを知っているだけでも、誰とも接しない内なる私の存在を忘れないでいるだろう。

いつまで経っても、SNSとの上手な付き合い方を模索し続けているんだろうけども、わかりやすくない多種多様な私がいることに気づくこと、それを認めること、ときには結論に至らなくてもいいという余白を心に持っておきたい。

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