他者への期待と信頼関係
人はなぜ他人に期待するのだろう。
本当の友人、パートナー、ひいては信頼関係とはなんだろう。
ひさしぶりに人間関係について、もやっとしてしまった。
先日、友人(友人A)と話していて、ある友人(友人B)のここが許せないという話を聞いた。
話せば長くなるけれども、長い付き合いの中でどうも許せないことがあるらしい。それは信頼を失うから何度も何度も直すように友人Bに伝えるものの、直らない。関係もどうしようかと思っている。要は愚痴だ。
その直らない癖は友人Aの周りでもよく聞いていたらしい。
その話を私は静かに聞いていて、友人AとBの話だけではなく、周りの人たちも愚痴を重ね、憶測を増幅させていることに悲しくなった。
ひと通り話を聞いて、確かに友人Bが悪いんだろうけども友人Aがそこまで怒るようなことなのか、周りの人たちも誰かに話していて発散しなければいけないことなのか、私には分からなかった。
私にも過去に仲がよかったけども、小さなことから徐々にどうしても信じられなくなってしまった人がいる。
「何で大事にしてくれないの」から始まった気持ちは言えない間にどんどん大きくなって、その人への嫌悪感に変わってしまった。
中高生のときで、私が未熟だった。
「○○してくれなくて悲しい」と言えばよかったし、そもそも相手が「直してくれる」と思うのではなくうまく付き合えばよかった。
あの頃から10年ほど経ってたくさんの人と会い、色んな価値観を知り、「その人を見る」ことが人間関係において大事なんじゃないかなと思う。
結局、「○○してくれるだろう」を期待すると「○○してくれないの」となってしまう。
目の前の人は自分と得意なことも苦手なことも違っていて、その人を形作るものたちは自分の知らないところもある。それが見えたときに失望して見捨てるのか、想像力を働かせてわからない部分を考えうまく付き合えるように生かすのか。
私は後者を選ぶようになった。
以前も綴ったことがありますが、私は人に過度な期待をしていません。
それは冷たかったり、興味がないと言われがちだしそうなのかなと思っていたけれど、人一倍人のことが気になります。気になるあまり、自分が傷つくのも誰かが悪者になるのも嫌なのです。
たまたま信頼関係に関する論文を読んでいて、なるほどなと思ったことがあるのですが、そこには「自分の考えや理由を提示するだけではなく、相手の気持ちや状況にも目を向けることが求められる。理解を踏まえたうえで自分の考えを検討しなおすことが必要」と書いてあった。
この対象は一般的な信頼関係のことではないのですが、同じようなことが言えるのかなと思う。
人間関係の中で感覚が合うから仲良くなることは多く「あなたは私の望むことをしてくれますよね」という相手への期待をどこかでしてしまいがちだれど、私とあなたは違うことを前提としてお互いが歩み寄る相互関係なのだと思う。
もし、その中でやっぱり合わないということであれば必要以上の付き合いはしないかもしれないけれど、もし会う機会があえばそのときは変わらず接することができたらいいなと私は思う。
「ただある部分で合わなかっただけ」。
そういう心持ちであれば関係を断絶したり悪く言う必要はないのかな。
この記事を書いている途中でTwitterで流れてきた芦田愛菜さんの言葉なのですが、簡潔的にまとめられていて、すごいなと感心してしまった。
自分にとって良くないことを「受け止められる揺るがない自分」というものは許せる強さを持ち合わせていることなんだろうな。
そんな自分になれたら、きっと人間関係で悩むことも少なくなる気がするし消耗することも減るような気がする。
何事も自分次第なので、今日も自分を磨いていきたいな。
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