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好きなものに囲まれた暮らしに“似合う”を取り入れるのも大切かもしれない


好きなもので囲まれた暮らしこそ、私の目指す暮らしの在り方だと思っていた。好きなものがそこにあるだけで、少し気持ちが上向きになる。
そんなお守りみたいな存在だから。

どちらかというと心配性でネガティブ、そんな私にとってのお守りというのは、少しばかり無敵になれるアイテムだ。
だからこそ、私にとって大事なものと思っていたし、そんな「お気に入り」に関する記事も何個か投稿している。



だけど、最近、薄々と”お気に入りのもので囲まれた暮らし”が私にとっての大正解でもないようなことに気が付いた。
というのも、大体のスキは明確になって、ベースが揃ってきたからかもしれない。自分が手にしなくとも、画像を見れば「これは好き」「これはあんまり」と判別できるくらいには自分の軸を持っているし、好きなのは前提で「これは手持ちのものに合うのだろうか…」と考えを巡らせることに重きを置くようになった。

どんな服を着ればいいかわからないという人には「似合うものが分からなければ、好きなものを着ればいいんだよ。それが自信につながるだろうから。」って言ってたけども、今だったらもう少し別の言葉をかけるだろう。

物選びの基準が、好きから似合うものへのシフトチェンジはお洋服から始まった。

このときはなんとなく、今の自分のファッションに違和感まではいかないもやもやを感じていて、身体に合う服を探そうと思っていた。大切な大好きなアイテムを取り入れられるように、他は似合う服のほうがバランスがよいからだ。

これと同じ現象がインテリアにも起こった。

お部屋のコーディネートこそ、”好きなものに囲まれる”が叶いやすいような気がするが、本当に好きなものだけを集めるとまとまりが悪く、居心地が悪くなる。これは、意外な発見だった。

私にとっての心地よい空間は、好きなものがあることに加えて、物量が少なすぎず多すぎない、色や雰囲気もまとまりがあるというのは大切みたいだと、この数年で気づいた。
たぶん、これに気づかなかったなら、今頃ほんとうに好きなものに溢れた部屋になっていたかもしれない。(それも悪くはないのかもしれないけれど)


この記事を書こうと思ったきっかけのラウンジチェア
こう見えてフランスヴィンテージ
名古屋旅行で行ったお店で出会った
店主さんも奥様も愛に溢れた素敵な方だった


たぶんこのラウンジチェアも、好みか?と聞かれれば違う。
きっとオンラインショップを眺めていたらスクロールしていて、検討にも上がらなかっただろう。

このチェアとの出会いや座り心地の感動など、想いがのったものだから恋しくなったというのもあるが、好きと好きじゃないの2択以外にこの空間に合うかという選択肢があったからこそ迎え入れられたものだろうし、また少しお部屋の可能性が広がったようにも思う。



ちなみに、コーディネートと調べるとこう出てくる。

[名](スル)
各部調整し、全体をまとめること。「国際会議を—する」
服装・インテリアなどで、色柄素材・形などが調和するように組み合わせること。コーディネーション。「じょうずに—した装い」

goo辞書(https://dictionary.goo.ne.jp/)にて検索、出典:デジタル大辞泉(小学館)


「全体をまとめる」「調和する」というのがキーワードらしい。
好きなものだけだと、どうもまとまり悪く思えるのは調和がとれているのかどうかという部分が足りなかったのかもしれない。

好きなものにまずまずの統一感があるほうだと思っているが、心地よさを重要視するのであれば、それらのバランスが取れているのが大切なようだ。大発見。


ここまで書いていてなんだけど、相も変わらずモノ選びについて「好きであること」というのは譲れないポイントである。
その中で、今あるお気に入りをいきいきと輝かせてくれるもの、という視点が加わったイメージだ。

おかげで、「好き」だけでは出会えなかった食わず嫌いのものに出会えているし、ある種の可能性にも気づくことができた。
自分の先入観や固定概念を破るためにも、私には必要だったのかもしれない。


余談であるが、もともとほしかったのは座面が広いソファー。
そしてラウンジチェアであれば、カール・ハンセンのCH25チェアが理想であった。
まだまだそれらを迎え入れる日は先になりそうだ。

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