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好きの次は似合うを見つける、でも心躍るのは大前提で


私は現在絶賛、自分磨き加速中です。

健康、美容、いろんなことをアップデートしている中で、お洋服も見直ししようかと思っている。

私はモノにはこだわりがかなりあるほう。きっといろんな記事に随所に見られているけれど、全ての原点になっているのはお洋服である。

とはいえ、それを見直すというのは系統など大きく変わるのかというのはそうではなくて。


今まで私はずっと好きな服を着てきた。
自分の姿を客観的に見るには鏡を見るしかできないんだけども、「身に付けている」ということが気持ちを高揚させるから。

それでも満足だけど、ファッションに貪欲な私は「より自分を素敵に魅せられないか?」ということに興味を持ちだした。

好きな服と似合う服は実は違う。
心からそのお洋服は可愛い!と思って纏っているけれど、正直「もう少し〇〇だったらいいのにな」とどこかで思うことはある。

骨格診断、パーソナルカラー診断、他者からの意見など、自分の好きとは別で自分の生まれ持った身体に合うものがあるみたい。
私の場合は似合うのはキレイめなお洋服であり、今まで挑戦していなかった領域。逆に好きなふわっとした素材もゆるっとしたシルエットも似合わないようです。

好きと似合うが近くって、自分の中でしっくりきているのであればよい。ただ私は客観的な視点を知って、今まで「好きだけどなんか…」ともやもやとしていた部分がすっきり晴れた気がする。


今まで集めてきたヴィンテージのお洋服たちは理論的には「似合わない」に属するものが多い。スタンドカラーのブラウスも、ふわりとしたスカートも「似合わない」に属する。

似合わないとして切り捨てるのは簡単だけども、それは正直とってももったいない。
確かに私の身体は苦手だと言っているのかもしれないけれど、あらゆるものに対して「そのものが好きか」を大事にしている私は「似合わない」の一つの理由で手放せるわけがないのです。

巷では〇〇診断によるコンテンツが多くあって、それらは自分を客観的に知るにはすごくよい。だけど、それを守っていると本当の自分の意志というものが削がれていく感覚になる。

「これがだめ」「これはいい」と言われるとその事実が正しいと思ってしまいがちだけど、あくまでも「客観的な視点」という指標をもつことで、少し自分のスタイルに迷ったときにちょっとした道しるべになるくらいの距離感でいることがちょうどいいのかなと思う。


上述の似合わないとされているお洋服たちはその2つを合わせることはしなくとも、どちらかは身体が似合うものに変えることで印象はぐっと変わった。
自分を素敵に魅せること、好きを身に付けること、どちらも私は譲れない。

ちなみに、最近は今まで手を出していなかったキレイめのカジュアルが着たくって、オーシバルのボーダーTシャツを狙ってる。
それこそ骨格診断に基づいた記事をいろいろ見ては「ああ、似合わないんだろうな~」と落ち込んだりもする。

誰かからこんな風に思われたいという他者目線よりも、鏡を見たときや身に付けている自分がテンションが上がるかどうかという自己満足の世界で生きている私は、新たな自分を見つけるために、これからも好きなお洋服を着ながらも似合う服も着たいというよくばりを叶えるべく着こなしを研究していくんだろうね。


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