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お気に入りのものに囲まれることで暮らしが豊かになったし、心が穏やかになった話


暮らしを整えること。手にとるものを本当に気にいっているものにすること。それはこの数年、私が特に意識していること。

度々話に出しているけれど、なんで暮らしを整えているのは、ただ「生きている」「日々を過ごしている」というだけの目の前の景色の色彩がだんだん薄れていくような生活にもう戻りたくないからだ。


一人暮らしを始めた当初から、もの選びについてはそれなりにこだわっていたつもりだった。物を買うのは基本的には納得したものなはずだった。

単体でも愛せるものが近くにあると見るだけでも気持ちが高まるし、もし使い心地も良ければ大満足。そうやって失われそうな日常に散りばめられた幸せをかき集めていた。

「つもりだった」「はずだった」と振り返るのは、今思うとどこかで安いから、お得だから、と手を伸ばすことが『無きにしも非ず』だったなと思うからだ。
例えば、服であればお洒落着のvintageたちはそれはもうこだわりにこだわったものだし、一着一着吟味して丁寧に選んだものだからクローゼットにあるだけでも心が満たされていた。だけども、仕事に行くだけの服たちはそれほどの熱量はない。着回しがきいてそれなりに素材も悪くなければ、ファストファッションのものをぽんと買っていたなぁと思う。

その選択が必ずしも間違っているとは思わないし、お洒落には全力を出して普段着は力を抜くベストな買い物だと思う人もいると思う。ただ私は、愛せない服があるというだけでなんとなく気持ちがもやりとしてしまう。

同様に、生活のあらゆるものたちに「なんとなく」と「こだわり」があることで、気持ちの格差が生まれるような気がした。それでも「なんとなく」に選ばれたものにも「こだわる理由がない、それならほうが安いほうがいいか、〇〇が使っているからいいか」という立派な理由があったんだけども。


私の経験上「安い」や「憧れ」を理由にした買い物はうまくいかないことが多い。それまでに吟味を重ねて、最終的な選択肢となるのであればその限りではない。
日用品の類においても棚に並んでいるものの中でいちばん安いものを選ぶよりも、少しでも使い心地が好き、コンセプトが好き、デザインが好き、といったお気に入りポイントがあることがあることで、ようやく自分のものとなるような感覚がある。

選ぶ段階で自分軸を持つというのは、手持ちの物たちを平等に愛したいと思っている私からすると譲れない思考なんだろうなと最近気づいた。

一人暮らしを数年経て二人暮らしになって、その過程で不要なものは削ぎ落し、生活に関わるあらゆるものが何かしらの理由で選ばれた「使っていて心地よいもの」ばかりになっていて、段違いに家にいる時間が楽しい。

そして、気にいたものは長く使いたいから、お手入れにも気を遣う。なので、自然と家の中を整えよう!という気持ちにもなっている。

以前はなんとなく悶々としていた家を飛び出すように休日は外出することもあったけれど、お気に入りのものばかりで整った空間はとても居心地がよくって、気づいたら家の中から一歩もの出ない日もよくある。


良いものというのは、ある程度は値段に比例する。
昨今の物価高も相まって、そうやって生活にかかるコストが少しずつ上がっていくことに不安を覚えることもないとは言えない。

だけども、家にいることで交通費や外食費を使うことが少なくなったり、気に入らなくて買い替えを繰り返すことや必要のないものを購入することが減ったから、実際は支出にかかるお金はあまり変わらず心の豊かさが高まったようにも思う。そして、使う瞬間に喜びを感じるから、いつも通り生活しているだけでも楽しい。


持ち物の値段が高いから豊かというわけではないし、暮らしに対するモチベーションが異常に高いから故の思考かもしれない。
生きているだけで充実度が高まってるから、私にとっていいお金の使い方だと思うし、プラスの感情が多いから、穏やかに生きれるようになったなと思う。

日々に幸せを感じにくくなってるなと思う人こそ、ぜひお気に入りに囲まれた暮らし、やってみてほしいな。


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暮らしにまつわるお話はこちらでも
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日々の暮らしの写真
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