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本よみ日記 私たちは私たちの人生を、ここで

ある言葉にあたったときの記憶が引き出される瞬間、そこから自分だけのエピソードが溢れ出る瞬間、そのときの感情はなんと言えばいいのだろう。

ファン・ジョンウンさんの『年年歳歳』を読んだ。イ・スンイル(母)、ハン・ヨンジン(長女)、ハン・セジン(次女)、それぞれの視点がある。

この本は自分がどのようなタイミングで読むか、何歳で、どこに住み、どのような役割をしているかで、気になるところが変化するだろうと思う。

私の場合、実家に暮らしていた頃はハン・ヨンジンで、離れて暮らす今はハン・セジンの心持ちだ。現実としての距離と気持ちの距離感はいつだって興味深い。

46歳で夫と小学生の息子と住み、実家までは電車に乗って2時間かからないくらい。主婦で子育て中、バイト探し中。

今現在の気になった文章を記しておきたい。



でも、お母さん、ハン・マンスにはなぜそう言わないの。

あの子にはそこで生きろと言ったのに、私にはどうしてそう言わなかったの。
帰ってくるなと、
おまえが生きやすいところにいろとあの子には言ったのに。

私はいつもそれを聞きたかった。

言いたい言葉


私は、私たちだけの暮らしを守りたいという気持ちと、年老いた父や母に何かしたい、しなければという気持ちが日々入り混じることに時々疲れを感じる。

左の胸に太極旗を縫いつけたツーピースを着て、ストッキングをはき靴をはき、長時間のフライトを覚悟したように、髪をきゅっとひっつめにして後ろを振り向くスンジャ。白髪交じりの髪をショートカットにし、単色のニットシャツを着て、優しげに老いた姿で白壁を背にして笑っているスンジャ。イ・スンイルはほんとに不思議なこともあるもんだと思った。見たことも聞いたこともないスンジャの過去と現在が、どうして私にとってはこんなに鮮明なのか。おい、お前の母ちゃんはどこ行ったんだ。考えれば考えるほど鮮やかすぎて、夢のような、嘘のような光景の数々。

無名


もう二度と会えない人でも、心の中では生き生きとしていて、いつでも会うことができる。話しかけることができる。誰にも邪魔されることなく。


深い森の中のどこかに残った小さな敷地跡のように、そこにあるとは誰も知らぬまま放置されていた名前たちが、その一枚の書類に残っていた。イ・スンイルは婚姻届によって自分の名前を消し、死亡届で彼らの名前を消した後、その書類を見たことを忘れた。
(中略)
イ・スンイルは、そこに書かれた名前たちが経験したことを誰にも手渡すつもりがなかった。誰にも話さなかった。

無名


自分だけが知っている、自分のこと、誰かのこと、見たこと、見てしまったこと、聞いてしまったこと。私もいくつか、持ち続けている。


私が小さかったときにノーマンが、韓国にアンナとそっくりな人がいるって言ったことがある。アンナがそこで暮らしていたら、人生が違っていただろうって、韓国にいたらアンナはもっと寂しくなくて、もっと幸せに暮らせたかもしれないって、ノーマンはそう言ってたけど、私はそう思わない。アンナはアンナの人生を生きたの、ここで。

近づくものたち


アンナにもジェイミーにも私たちにも、日々生活は近づいてくる。朝がきて夜がきて、今ここでできることは何だろうと考える。
ジェイミーの父、ノーマンはアンナの生き方を暗く捉えていたが、孫のジェイミーが救い出した。この先、口から口に伝わる祖母アンナは変わっていくだろう。新しい考え方、家父長制の崩壊の予感とともに、明るい光、希望のように感じられ、いちばん好きな文章だ。

その他に気になったのは、ハン・セジンが台本を書いた演劇のタイトルが「家庭実習」(‼︎)で、劇中の轟音は何を意味するのかと思ったり、何年も放っておいたハン・ヨンジンの登山靴をイ・スンイルが黙って使って壊したのは、まるでハン・ヨンジンが人生という山を登ることすら選べないことの比喩のようだと思ったり、イ・スンイルが韓国でドイツに想いを馳せることはアンナが実際にアメリカで暮らしたこととの対比のようだとか思ったりした。

イ・スンイルは子供たちが「豊かな暮らしをすること」を願った。よくわかってもいないという「豊かな暮らし」を。

私や私たちは、今ここでできることはなんだろうと日々考え続けている。





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