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本よみ日記 ジンジャーエールの抑止力

『本の読める場所を求めて』の「おわりに」に、保坂和志さんの『この人の閾』が引用されていた。それに対し阿久津隆さんはこう続けている。

僕にとって読書はこれが全部だ。何かを学んだり、まとめたり、人と感想を言い合ったりすることを前提としないで、ただ読むだけ。読んでいるあいだに頭の中で上演される発語や身振りや風景や思考を追って、その時間を楽しむだけ。ただそれをし続けていたい。

『本の読める場所を求めて』


夫になににも邪魔されず本が読める店があったら行きたいかと聞くと、どうにも歯切れが悪い。電車や船など長距離移動中が「本を読むしかない」を許される環境とのことで、そのような店に行ってもしなくてはいけないことが頭をよぎったり、本を読まなきゃいけない重圧が重いと言う。

「本を読むしかない」状況に自分を置かないと心おきなく読めないというのも、消去法のような感じもするがわからなくもなかった。本に何度か出てくる「今日はがっつり読む」気持ちで店に行ったとしても、読んでいる途中で気が変わる可能性はゼロではない。

阿久津さんの本を読むたび、フヅクエに行き、読書に没頭できる場の体験をしたくなるが、まだ行っていない。それはそこまで困っていないという意味でもあり、ここに映画館やスキー場と違い、読書の「そのことに専念できる場所」のできにくさがあるような気がする。一回体験してみて、ようやく入り口に立てるということだろう。

この本を書くきっかけを作った人が、前に読んだ『本を贈る』の著者のひとりである橋本亮二さんだと「おわりに」に書いてあり、勝手に繋がってるなぁと嬉しくなった。



春のあたたかさを言い訳に、ビールを飲みながら「最後の講義 みうらじゅん」を見る午後。夕方から眠くて眠くてしょうがなくなる。翌日はジンジャーエールを買って飲んだ。



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