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本よみ日記 レニングラード・カウボーイズ、茄子

9月が終わるらしい。柿内正午『プルーストを読む生活』をちびちび読んでいると、『カルテット』というドラマの着想はアキ・カウリスマキの『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』からきているらしいと知り、なかなか衝撃的であった。『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』は何回か観ている好きな映画で、面白かった印象はあるもののすっかり内容を忘れてしまった『カルテット』を見直して両方をつなげてみたくなっている。


昨日は息子の病院に行き、帰ってきてから『プルーストを読む生活』を読んでいたが、柿内さんが「僕にとってのプルーストはこれだ」という長い引用の部分が全然頭に入ってこなかったのでそこで本を閉じた。

眠って起きて、おそるおそる長い引用部分から読みはじめると、あっという間に息子を起こす時間となった。


プルーストはさいきんツイッターのようなもので気がついたら読んでいる。読むとだらだら読んでいるけれど楽しい時と楽しくないときがあって、それで自分の体調がよくわかる。「私」も悲願であった観劇を楽しめない。
『プルーストを読む生活』

だらだら読むことで救われるときもあるけれど、それでも何を言っているのかはやはりわかりたいのだろうか。いや、わからなくてよい、わからないけど楽しいもたくさんあるから、きっと何も感じない、感じられないのが嫌なのだと思う。

昨日、長い引用が楽しめないので「なにいってるかわからんな」と試しに声に出してぼやいてみたところ、そういえば黒田硫黄のマンガ『茄子』の中でヒゲの高間さんもそう言いながら本を読んでいなかったかな、どうだったかと、久しぶりに『茄子』をぱらぱらと捲って探したりした。このような脱線をしたり繋がったり、なにかを読んでは想い起こされるということが柿内さん然り、読むひとりひとりに起こるのだから記憶の引き出しの巧妙さや緻密さに感嘆しつつ、よくわからん、というのが私の現在位置である。

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