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本よみ日記 いつか思い出す

祝日続きに慣れる日はくるのだろうか。
前に一緒に働いていた人と十年ぶりに会った。保坂和志さん『この人の閾』の真紀さんのように話すことからはほど遠く、書き散らかしてるうちはね、と自分を納得させる。

息子と夫がひげ兄弟の映画へ行っているあいだ、気になっていたSANBON RADIOを聴いてみる。ひとつのテーマをもとに三人の書店の方が本の紹介をするらしく、「年年歳歳」と「詩」で迷って今回は「詩」にしてみた。

ちびりちびりと読んでいた斉藤倫さん『ポエトリー・ドッグス』を読みおえてしまい、もういちど最初から読み返していたところだったので、三人のうちのひとりである鎌田裕樹さんがまだ本になる前の雑誌連載中だった『ポエトリー・ドッグス』をいいと言っていたのが眩しかった。

実を言うと『ポエトリー・ドッグス』はなかなかしっくり読めず、半分ほど読み、わからなさに慣れたころから味わえるようになった。その後ずいぶんゆっくり読んだが、最後の頁はいつかくるもので、何事もなかったように最初の頁に戻った。

toi books の方が平出隆さんの『伊良子清白』について話す。

月光(げつくわう)の
語るらく
わが見しは一の姫
古あをき笛吹いて
夜(よ)も深く塔(あらゝぎ)の
階級(きざはし)に白々(しらじら)と
立ちにけり

『伊良子清白』


まだ詩のところだけを拾うようにしか読んでないが、この「月光日光」は好きな詩だ。


きみは親友、きみは詩の親友、ぼくよりも烈しい炎、ぼくよりも澄んだ水難、ぼくよりも高い竜巻。

『雷滴 その放下』

唯一持っている平出隆さんのvia wwalnutsシリーズ『雷滴 その放下』の詩もよい。自分のいちばん近くにいる人を言葉にする時、必要な眼はどんな眼なのだろう。


ある日の祝日、家族総出で源平合戦に参加した。赤白に分かれスポンジ刀で相手の命玉を取る。息子以上に私が楽しみにしていて、期待どおりやはり楽しかった。自然と大きな声を出すなんて一年に一度のことだなぁと家でアイスを食べながら思った。



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