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オーストラリア2400km自転車旅初日後半

―改めて12月1日―

 俺とシュンは一旦別れ、インフォメーションセンターで落ち合った。交番のようなところだった。そこで水補給できる場所について情報がほしかったので、さっそくパンチパーマの案内スタッフに相談してみたところ、質間に答えてくれるどころか、

「自転車でパースになんて行くもんじゃないよ!遠すぎる!ただ暑く、ただ暇なだけ。辞めときなさい!!」と叱られた。インフォメーションセンターで情報をもらえず説教をもらう。ただこの時期にブルームから自転車でパースに行くことの過酷さは、何となくシュンからも聞いた。彼は自転車には詳しかった。日本でも昔、自分の自転車を買って遠出の旅を何度かしていたと。実際俺が自転車を買う時、彼がついてきてくれたのでいろいろ助かった。1 2月、オーストラリアは今からべラボーに暑くなる。しかも町と町の間隔が異常に広く、半砂漠状態であるからして、水をいかに補給するかが死活問題となってくる。と言っても、俺にはよくわからなかったし、とにかく始めてみたかった。

「やってみなきや何にもわかんねーじゃねーか!」と言う気持ちだった。

結局、たいした情報を一つも得られなかった。

「ヒロ、今日はまだ出ないほうがいいんじゃないか?もう一日かけてじっくり情報を集めたほうが良いよ。詳しく載ってる地図も持ってないわけだし」

俺の持っている地図は確かに頼りないもので、シュンにそう言われるとだんだん不安になってきた。けど

「始めたいって気持ち止めらんねー!今日は12月1日、キリもいいし出る!」 そう言った。

自転車初日「地球創生」

 結局時計は午前の10時を指してしまった。初日ぐらい余裕を持って涼しい早朝から走り始めたかったのだが仕方ない。シュンは次の日に俺と同じくこの町を立つ予定にしていて、彼は車だから、あっという間に俺に追いつき追い越してしまうことになる。24時間後、ギブアップせずに自転車を続けていれば、また会えるということが分かっていた、が念のため硬い握手を交わした。

「死ぬなよヒロ!」

「死なん!」

シュンのもとを去った。

ブルームの町から東の方に向かって勢いよく走り出した。澄み渡った青空の下、 出だしはとても好調でスピードものった。MAX25kmぐらい出ていたと思う。荷物や水を積んでいる自転車の重さも感じなかった。

「おぉー楽しいっ!これなら2400キロ楽勝だな!」

そう思った矢先に前輪がパンク。トゲトゲの引っ付き虫(植物の種子)が刺さっていた。

「ちっ(クソッ)!」

と思ったが、早い段階でパンク修理に慣れておいたほうが良いかもしれないと、ポジテイブに考え直す。生まれてこのかた一度も自分でパンク修理をしたことがなかったのだから。口頭でシュンから大体のやり方を聞いてはいたものの実際にやってみないとわからない。案の定てこずって40分もかかってしまった。この時、そんなに腹は減っていなかったが、腐ると嫌だったのでシュンにもらったサンドイッチを食べた。また自転車を漕ぎだす。パンク修理が丁度体の休息にもなったようで、相変わらず調子は良かった。出発から2時間ほどでルーバックRH (口一ドハウスの略称で、ガソリンスタンドとコンビニがセットになったようなところ。“砂漠のオアシス” )着。ブルームから34キロだった。ここから南に進路を取れば、パースに向かうことができる。全く疲れはなかったが、前輪の空気がまた漏れていた。ぶきっちょでちゃんと治せていなかったのだろうか、再度チューブを調べてみたがよくわからず適当に怪しいところにまたシールを貼った。その後このRHで冷たいジュースを買って飲んだ。冷たいものはホンットにウマイ!!

片腕を腰に当てて一気に飲み干した。カーッ!!ウメェーー!!!

「自転車の旅、けっこう楽しんじゃないっ!?」

そう思った。 このRHを発ってしまうと、次のサンドファイヤーRHまで300キロ離れている。これはけっこう過酷・・・と言いたいが、その過酷さに気付くのはまだ後の話。その時は300キロというのがどれほどのものなのか?自分が一日で何キロ走れるのか?今持っている水はどれくらいもつのか?何も分からなかった。

何も考えることなく、考えなければならないということを知らず、そのRHをルンルン気分で飛び出した。オーストラリアという“カ・イ・ブ・ツ”のカの字も知らないで。

2時間ほど走ると、ほとんど車が通らなくなり、景色もすっかり変わってしまった。徐々にではあったが、「ルンルン気分」は「怖い」という感情に変わっていった。広大な空間に、自分一人しかいないということ。左の景色は遥か遠くの地平線、右の景色も遥か遠くの地平線、空は雲がないもんだから無限に高い。周りに空間を遮るモノがない・・・・無限大の中に自分しかいない感覚は初めてだった。余計なこと考えなければ良かったが、何時間も単調作業を続けていると、たまたまかも知れないが、「怖い」という感情に触れた。

黄色い太陽線は、俺の体をじりじりとあぶる。鳥や牛すら見受けられない。 孤独を感じた。そのうちペダルがズンっと重くなっていることに気付いた。「??」何が起こったかよく分からない。別段自転車に異常があるようにも思われなかったが、何かが今までと違った。原因は『風』だった。

向かい風が吹いていたのだ。ルーバックRHまでの走りとはまるで違う。ぜんぜん自転車が前に転がらず、筋肉を使うことを求められる。この時、ブルームからルーバックRHまでは追い風だったことを知った。。。

「自転車の旅、ひょっとしてしんどい!?」徐々に気づき始めた。

それは突然だった。ちょうど日が落ちてきた頃、ズキンッ!左膝に痛みが。

「しまった!」と思った。初日にもかかわらずろくに休憩をとらず走り続けたせいだろう。そもそも初日では自分の走れる限界がどこまでか分かるはずがなく、だから無茶をすべきではなかった。完全に舞い上がっていた。シュンが1時間に一度は休憩を取るように、と言っていたことを思い出したが後の祭り。自分の体には限界がないと、20代の俺は思ってた・・・限界がないどころか、簡単に到達した。その後一歩ペダルを漕ぐごとにビキッ!と痛みが走る。決して易しい痛みではなかったが、それでも広大すぎる空間が怖く、自転車を降りたくないという想いにかられ1時間漕ぎ続けた。もう駄目だと思い、やむなく自転車を降り、Hwy (ハイウェイ、パースまでずっとこのハイウェイが伸びている)沿いの路肩にテントを張ることにした。舗装された太いHwyは、その両サイドをオーストラリア特有の赤土の路肩に挟まれていた。路肩だけでも幅10mくらいあったように思う。

あぁ~最悪。。。パースまであと2350キロほどだろうか?明日からまた走れるのか?初日だというのに完全に自信を失くした。

日が暮れだしたこともあったが、分厚い雲が辺りを覆い始め、どんどん暗くなっていった。テントを張り、相棒の自転車をその脇に置き、自分の身と荷物をテントの中に押し込んだ。さすがに疲れた。手持ち無沙汰を感じ、腹は減っていなかったが無理して缶詰を食べた。テントの周りが急速に重く暗くなってきていた。そのことを意識したくなかったが、缶詰を食べ終えると考えずにはいられない。想像以上に暗い!?夜なんだから暗くて当たり前だが、何一つ光を発するものがない。電池は無駄にできないと思い懐中電灯を消す・・・何も見えない。風が強くなってきた。その風でテントがバタバタと叩かれる音が不気味。そのうち遠くで、ゴゴゴゴと怪物の唸りのような重い雷音が響き始め、その音がだんだん大きくなってくる。

漆黒の闇がピカッと裂ける。まるで、地球創生、あるいは終焉を目撃しているようだった。

「もうダメだ・・・何もかもおしまいだ・・・」たまらなく怖かった。日中に感じた孤独よりもっと高次元な孤独。孤独が好きだと言う人もいるが、後で誰かに会える事が前提だろ、と思った。人が恋しいのになぜか車はまったく通らない。ガサガサと動物が近くを横切る音がしてビビッて少しちびった。冷え込んできたせいか、膝の痛みが浮き立つ。時計を見て大きなショックを受けた。まだ9時半だった。まったく時間が進まない。

あと短くとも7時間はこの状態が続く・・・分だと420分・・・秒だと25,200秒、そんなことを考えながら、時計を見つめていた。嫌がらせのように時計はゆっくりと時を刻む。耐えられない。全く眠れない。小便に行きたくともテントを出たくない。出たら闇に食われる、そう思った。

痛い

寂しい

時間流れない

「ブツブツブツブツ・・・・」

俺の隣には誰かがいて、そいつと会話をしている自分に気付いて、ハッ!とした。眠っていたわけでもなく、気絶していたわけでもない。これって幻覚!?人は、寂しすぎると幻覚を見ることを知った。

アァーー!コエェーー!

「俺ってこんなに臆病だったのか・・・」

今まで自分のことを、どちらかというと「強い」方の人間だと思ってた。それがこんなに「弱い」方だったとは。。。。。

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