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ある愛の歌。

今の体温 36.5

これはとても大事なこと。友達のことを記録しておく。

私にはたった一人、高校時代からの友人がいる。
その子は大島弓子の描く女の子みたいな顔だちをしていた。
ガラの悪い地方の町には珍しい、お嬢さまっぽいおっとりした娘さん。
私も周囲から同じように思われていたようなので、その点で同じ人種だったと言える。

高校で出会い、芸人の話で盛り上がり(当時は空前のお笑いブームでした)、学校以外でもよく会った。
二十代後半ぐらいまでいわゆる「友達」と呼べる間柄だった。
お互いの家を行き来したこともあるし、彼女が1人暮らしの時には泊めてもらったこともある。
一緒にオシャレなバーに行ったこともあった。上海租界を模した素敵な店だった。
彼女は私と違ってオシャレ女だったのである。
その後もとぎれとぎれではあるが、今でも消息を知っている唯一の人。

そんな彼女の恋の話。
彼女は奥手というかなんというか、男性とのお付き合いの話を聞いたことがなかった。私も同じだったのでまったく不思議には思わなかったが、周囲から見たら色々思うことはあったかもしれない。
高校卒業後、彼女はファッション関係の学校に進み、寮生活。
就職を機に1人暮らしを始めた。
泊めてもらったのはこの時期。今から思うと「どんな話をしたんだろう、よく間がもったなあ」という感じだ。
数年後、彼女は仕事をやめた。販売からバイヤー、スタイリストに転職し、また販売に戻ったが、精神的に辛かったようだ。
貯金を切り崩しての生活になったが、地元には帰りたくなくて、ずっと都市部に暮らしていた。
地元に帰りたくないのはよくわかった。私もあの町が嫌いだったから。

いつの時期か彼女はあるミュージシャンと出逢った。
ライブが好きな彼女、あちこちに足を運んでいるうちに顔を覚えられて声を掛けられたらしい。
ひっそりとした交流を続けていたが、決定的なことは何も起こらないまま終わってしまった。
残されたのはやりとりした山ほどの手紙。
二人のことを描いたと思われるバラード曲。

ほどなく彼は音楽活動を休止。
トリビュートアルバムが作られることになり、有名グループがそのバラード曲を収録したいと使用許可を求めて来た。
しかし、彼は固辞し、バラードがアルバムに収められることはなかった。

交流の中で、
いつか迎えに来てくれる?
彼女は聞いたが、彼からのはっきりした答えは得られなかったんだという。

彼女は今も苦しい心を抱えていて、今では私と会うこともできない状態。
(私以外とも会えないんですよ、念のため)

いくらでもある、有名人とファンのありきたりな顛末なのかもしれない。
それでも私はこの話が忘れられないのだ。

彼女の恋がかなっていたら、どんな人生だったんだろう。
もっと幸せだっただろうか。

彼には恋人ができたんだろうか。
今でも彼女のこと覚えてるだろうか。

もしこの恋を惜しんでいるのなら、
彼女のことを今でも好きなら、
まだ遅くないと思うんだけどな。

迎えに来ませんか。

つらい毎日の記録