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introduce?


はじめましてEraです。職業は看護師をしています。

どんな出会いの形もどんな人もご縁だと思っています。
私の言葉を、文を、読むに辿り着いた方へ。
出会えたことに感謝します。

まずは私がどんな人なのかを知ってほしいです。
とは言っても、私自身どういう人かってよくわかっていませんが・・・
読み進めていくうちになんとなく分かるかもしれません。

これを始めたのも、こうして綴ることで自分と向き合えるんじゃないかっていうのがきっかけです。
中学生の時はブログを書いていました。誰に公開するわけでもなく自分用でしたが、だいぶ心救われていました。一人暮らしをし始めた時も日記を書いていました。
書くこと、多分好きなんですね。

さて、生きていると色んな事が起こります。

出来事は誰に、いつ、なにが起こるかはわかりません。
生まれ育った環境も辿ってきた道も描く夢も様々です。
星の数と人の数ってどちらが多いのだろう。
私はその数多い中の一人の人間です。
地位や名誉、肩書きもありませんが、
一生懸命生きてきた人です。
これからも生きていきたい人です。

今後書いていく記事に、

もしも同じような境遇や悩みを抱えた人がいて、
共感してくれたら。
興味をもってくれた方が、
理解をして受け入れてくれたら。
私の言葉にほんの少し心が動かされたら。
ささいな事でも何か考えてもらえたら。
凄くうれしいです。

主に私の感じたことばかりの記事なります。

私は母がフィリピン人、父が日本人です。
ハーフも今じゃもう珍しくないかと思います。
兄弟姉妹も6人います。大家族です。

私が小学2年生の時リーマンショックの影響で父はリストラ。それ以降は引きこもってしまいました。
外国人の母は言葉もカタコトだったけど、日本で1人で家庭を支えるために仕事をしてくれました。
朝も昼も深夜もずっと。限界はもちろんあって、
中学生の時に離婚をすることになりました。
父は私たちを全員を施設に預けようとしました。
母はもちろん許せなくて皆んな引き取ってくれました。
当時は学校に通う子供5人の母子家庭でした。

色んなことがあったけど、
誰も欠けることなく今もみんな生きています。
今はそれが全てで幸せだと思っています。
そんな環境に育って今は看護師をしています。

看護の世界に至るまでの経緯は、
次の記事にしていこうと思います。

どんな状況下で何をしていたとしても
自分がどういう人でありたいかは
思い出すようにしていました。

お金がなくても食べるものがなくても眠れなくても
何かを思うことは不自由でも唯一できること。

私は10代のどん底の時から
「それでも優しくて逞しい人でありたい」

その想いを頼りに生きてきました。
未だにまだ、なりきれていないけれど、
これからも目指し続けていきたい。

なりたい自分はどんな自分か。
それさえわかれば、迷っていてもきっと進む導いてくれると信じています。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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