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それでも


さて!今回は、ぼやいていきます。あくまで主観です。

 人の数だけその人の物語があるように、
物事の見方、感じ方、捉え方、着眼点。
それぞれ同じ場所にいても同じ環境にいたとしても、
映し出される物事とは人それぞれ違って見えるものです。

最近は多様性についても説かれていることも、よく耳にします。

日本はかつて鎖国の歴史もあり、世界でも日本国は独自の文化を持っています。私は日本の文化が好きです。

世界は広くて様々な文化があり、知らないことに溢れています。自分たちの住む環境では当たり前だったことが、違う国では失礼になってしまった、違和感を感じさせたり。そういうことに驚く事も多いと思います。

だからこそ常識を基準に振る舞うことって難しいです。

生まれ育った環境で当たり前は違います。正義の定義だって、愛情だって何もかも人によって違うんです。見えてる世界は同じじゃないんです。

それを理解して受け止めることは、忍耐と努力が必要です。決して簡単なことではありません。

人がお互いの違いを理解できれば人が生きる世界に戦争なんて起きないと思います。

自分と違うものは怖かったり、敵に見えたり、防衛反応が動くんだと思います。

理解するためには知ることが前提です。

そして受け入れる。受け止める。

期待はし過ぎてはいけないんです。
信じることと期待は似てるようで違います。

感情が先走り自分を見失う時、人はその感情の原因を探ることで解決の糸口を見つけます。

問題点があれば、その原因を探します。

病気、事故、犯罪、物事には原因があります。

理由や原因がわかったとしても、それが仕方ないと思えない時、怒りが込み上がる時があります。

人生は思い通りになんていきません。

非道な出来事も溢れています。世界も人も残酷な面を持っています。綺麗なものだけを見続けるはずはないんです。

みんな平和と安定、安心、幸せ、愛、夢、絆、を求めて一生懸命生きています。そしてそれを手に入れたとして、気付いたとしても、それを見失わずに持ち続けること、守ることは難しい。
居心地のいいことは当たり前になっていき、失えばひどく傷つく。

その過程が遮られた時、怒りが芽生えるんだと私は思います。快適が崩れた時にひどく感情的になります。

それは当然の反応です。

怒りは物事を改善するためのきっかけになることもあります。
悔しさから正しいことをしたいと思えばいいけれど、
憎みしとなり悲惨な結果を生むことも多々ある。

そう思うと本当に他人も人生も理解すること受け入れることは難しいです。

考えすぎていることは、よくわかっています。
この先にあるのは虚無感です。

もっと気軽に肩の力を抜くことで楽になればいい。
本当はそんな風に生きてみたいものです。

だけど私の人生は、見てる世界は、私がこんなふうに考えるように導いてきたんだと思います。そこに意味がきっとあるんだと思いたいです。

だから、「それでも、優しく逞しく」ありたいんです。

人と世界の優しい面をずっと探してるんです。

そうすれば、報われるような気がするんです。








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