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自分が守りたいと思うもの
守りたいもの。自分自身の言葉への信頼。
守るためにはどうしたらいいのか。
自分に嘘をつかないこと。発言も、行動も。
自分との約束を守ること。すなわち、自分の言葉を嘘にしないこと。
そして、言葉以前のもやもやした何かを、徹底的に真っすぐに見つめ続けること。死ぬまで。一生。
宗教のような小説を読んだ。
歩くことと書くことについて
私は歩くことがすきだ。歩くことと書くことはかなり似ていて、どちらも私にとって精神のチューニングのような、旅のような、現実逃避のような役割を果たす。
私はいつでも旅がしたい。一つ所に留まっていたくない。どちらかというと引きこもりでインドア派で、世界一周どころか日本一周すらもしたことはないけれど、そういうことではないのだ。
在宅勤務で運動不足になりがちなので、昨日は仕事前に一時間ほど外を歩いた。最寄
エモについてもう一度考えてみた
私は大森靖子の音楽によって魂を救われるタイプの女ではないが、それでも時々彼女の曲を聴きたくなることがあって、その夜もそんな感じだった。「絶対彼女」をイヤホンから垂れ流しながら、だらだらと夜の新宿を歩いた。
縁もゆかりもない、友人も恋人も家族も親戚もいない東京に来て一年以上が経った。驚くべきことに、私はこの夜、新宿という街にエモみを感じてしまった。エモとは、蓄積された日常の記憶だ。なんでもないよう
一人で生きて一人で死ぬ
どうあがいても人は一人である、というこの絶望的な事実と、どうやって付き合っていけばいいんだろうね。
これは希死念慮とかそういうのではないのだけれど、死ねば全てから開放されるのに、と思う。人は人生の節目節目に、たとえば入学式とか卒業式とか成人式とか結婚式とか、あるいは生まれた瞬間だとかに、「おめでとう」と言い合うならわしになっているけれど、その「おめでとう」の意味がどうしてもわからないのだ。いったい
浴びるように本を読みたい。読書量が足りない。
タピオカミルクティーをのんだ。タピオカ別に要らねえな、とおもった。いや、タピオカは悪くない。これはわたしがミルクティーを愛しすぎてしまったが故の悲劇だ。