「2023年2月の名前のない珈琲 Mexico:お子さまと侮らないで。」
大人のわたしは、子どものわたしの延長線上にいる。
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2月の名前のない珈琲:Mexico
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甘く熟した香りが、焙煎部屋に立ちこめた。
生豆のままでも相当な存在感をはなっていたけれど、その存在感は焙煎しても消えることはないようだ。
それは、焙煎から日が経ち、店で提供するときも変わらなかった。
注文を受け、名前のない珈琲が入った缶の蓋を開けた瞬間、お客さまが、「あっ、いい香りですね。」と呟いたのだから間違いはない。
しかも、そのお客さまは、マスク越しにその存在感を嗅ぎ取っていたのだ。
甘く熟したその香りは、過去に、確かに嗅いだことのある香りで、何度も嗅いでは、なんだろうと考えた。
もったりと甘く熟した、そして、爽やかな酸味。
例えるなら、とろんとろんに熟した洋梨に近い。
とろんとろんに熟すや洋梨といったキーワードは、ちょっと大人っぽい。
でも、そんな大人っぽさではなく、幼いころに慣れ親しんだ大好きだった食べ物の方が、ずっと、近い味がしたはずだ。
また、なんだろうと考えた。
考えて、考え抜いて、はたと思い出した。
ヨーグルトだ。
緑色のフィルムがついた瓶入りのヨーグルト。
保育園のおやつの時間によく食べていたあのヨーグルトだ。
おやつの定番は、瓶に入ったヨーグルトと牛乳でひたひたになったコーンフレークだった。
牛乳でひたひたになったコーンフレークは、その食感が苦手であまり好きではなかったけれど、瓶に入ったヨーグルトは大好きだったことを覚えている。
瓶の口に輪ゴムで留められた緑色のフィルムを剥がす。
瓶からヨーグルトをスプーンですくい、口に運ぶ。
もったりと甘く、爽やかな酸味が口の中を満たしていく。
やっぱり、あのヨーグルトだ。
知らぬうちに忘れられなくなっている味は、こころにいくつもある。
それらは、今のわたしが感じる「おいしい」という味覚を作り上げた味だ。
今のわたしが「おいしい」と感じる味は、心が一番落ち着く味といってもいいのかもしれない。
現に、料理をするときの味付けは、やはり、食べ慣れた母の味なのだ。
2月の名前のない珈琲:Mexicoは、大人っぽさを感じながらも、実は、幼いころに慣れ親しんだ忘れられない味だった。
大人は子どもの延長線上にあるということか。
そうなら、2月の名前のない珈琲には、「お子さまと侮らないで。」と名付けよう。
おとなの味覚は、生まれたときから今に至るまでに口にしたモノで作りあげられる。
お子さまの味覚を、決して、侮ってはいけないのだ。
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