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冬の朝

小学生の頃、地域の学区全体で行われていた学校対抗の駅伝大会があった。その大会に出場するために、冬の寒い朝に半袖で学校の周りの田んぼ道をぐるぐると、ひたすらに走っていた。走りながらリズム良く肺に冷たい空気をとり込むと、喉の奥の方で血の味がするかのようににツンと痛くなる。

冬の凍てつく、ピンと張り詰めた空気。
手の指先や頬や髪もその空気に触れて冷たくなる。

朝、日が昇る6時半頃。
まだ暗がりの部屋で二度寝したい気持ちを押し切り、頭は目覚めず、ぼんやりしたままランニングの支度をして、静かに出掛ける。大学生になった今も、時々ランニングをする。

まだ朝と夜の境目のような薄明かりの街の中をひとりで走りながら、冬の冷たい空気を身にまとう。ゆっくり冷たい空気を吸いこみ体いっぱい深呼吸をすると、あの頃を思い出す。

ほかにも、
今は疎遠になった、小学校の頃に仲の良かった友だち。
厳冬期登山の下山後にみた、暗い紺色の空にポツンと浮かぶ三日月。
関東での山行を終えて関西まで帰るために、眠りにつけない深夜の高速バスの車窓からみた、空と海の中にチカチカと浮かぶ四日市の黄色やオレンジの煌びやかな工業地帯だったり。

冷たい冬の朝の空気とともに、色々と過去の記憶が次々と引き出される。

こういう回想は、スピッツのロビンソンを聴くとあの頃思い出すなぁとか、温かい豚汁を食べるとあの人を思い出すなぁとか、そういう類のものなのだろう。
五感で感じ取った体験と結び付けられている思い出はいつまでも、同じ体験が訪れるたびに歳月が経っても鮮明に思い出されるのかもしれない。

来年の冬の朝には、どんなことを思い出すだろうな。

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