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【エッセイ】noteを伸ばす上で取るべきではないクソ戦術

先日公開した「禁煙に成功した」という内容のエッセイが、面白要素が全くないにもかかわらず、非常に多くの人に読んでもらえた。

Xのポストはたかだか140文字、インスタで文章投稿したとしても読んでもらえる気がしない、そんな中で5000文字程度の文章を見てもらえて、「いいね」をもらえたのはとてもうれしいことだ。

特に、毒にも薬にもならぬエッセイというジャンルの文章を読んでもらえると、僕自身の内面を見てもらえたと感じてさらに快い。

調子に乗っているように思えるが、文章を読んでもらえると何とも言えない喜びを感じるのは、幼少期から変わらない僕という人間の性質であるし、自己顕示欲が高いと思われるのが嫌であれば、素人の日記を公開するような真似はしていない。

今回からはいつもの文量の、いつもの文章に切り替えていこうと思ったのだが、前回のプチ成功体験を経て筆が乗らなくなってしまった。

正確には、テーマを決めて書き始めるのだが、1000~1500字に満たない。この1000から1500という字数は、エッセイとして読みやすいと僕が勝手に決めている字数なので、満たさなくても別になんてことはないのだが、プライドからかどうしてもそこで終えることにもやもやしてしまうのである。下書きに入れては放置した数、この一週間で6編。毎日投稿できるくらいには、書き始めては下書きに保存を繰り返していた。

この期間、下書きを書いては保存するというムーブを繰り返す中で、ほかの人の書いたnoteを読みに行ってみた。
noteの、特にエッセイやコラムというジャンルは玉石混交で、AIイラストにAIが作ったであろう文章がいいねをたくさんもらっていたり、芸人さんの面白い感性で書かれた読みやすいコラムもある。

そんな中でなぜかすごくnoteのアルゴリズムに薦められたのは「noteを伸ばす方法」。流し見したところ、大体に共通していたのは継続すること、毎日書くことと書いてあった。noteさんまで煽らないでくださいよ。

さて、本題に入る。今回のテーマは「noteを伸ばすうえで取る必要のないクソ戦術」。
今まで僕は基本、記事を公開したらXやinstagramで友人たちに知らせていた。記事をより多くの人に読んでもらうため、なんなら僕という人間のパーソナリティを知っていた方が文章をおそらく楽しんでもらえると考えているためである。しかし今回はあえてその手法を取らない。広報しない。もちろん身内にも読んでもらいたいのだけれど、隠してみる。

おそらくいいねは対して付かず、だれにも読まれない悲しき1000字がネットの海に放り投げられる。なぜそんなクソ戦術を取るのか。それは、メーカーの自信がないものに広告を打っても売れやしないから。リアルの僕の職業は広告を売る仕事。そんなことは分かりきっているのだ。

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