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2024/9/28 チェルフィッチュ×藤倉大 with アンサンブル・ノマド リビングルームのメタモルフォーシス

池袋芸術祭2024
劇団:チェルフィッチュ×藤倉大 with アンサンブル・ノマド
タイトル:リビングルームのメタモルフォーシス

https://tokyo-festival.jp/2024/program/chelfitsch-dai-fujikura/

50/50で音楽と演劇が融合した、音楽劇であった
いい舞台と出会った

岡田さんの作品は演劇と呼んでいいのか?という個人的疑問はあるが、ここでは演劇とする
フィジカルシアターとして、身体表現にも重きをおく演劇はやはり面白い
構造化、分解、再構築されたユーモアを忘れない言葉も好みであった

本作は、3部作で進行していく
1部はリビングルーム
2部は人間関係
1〜2部は、ほぼ舞台の左半分のみで進行していく

3部は全事象、人と感情、音、空間、ものと、全てが融合する
物事は分解され、空間という定義すら失われる
そこは誰が権力・優位性を持つわけではなく、ただ等しく皆そこに存在する

全ての物質には球の形をした穴が空いているという前提のもと、その穴から染み出して融合していく
空間を構成していた舞台セットも形を変え、演者と一体化していく
前回の消しゴム山では、自分に落とし込めなかった部分が、その部分が徐々にハマるように落ちてきた感覚がある

また、音楽無しには本作は語れない
生演奏の音楽の美しさ、不穏さはさることながら、閲覧者からその世界に融合されていく過程がよかった
序盤は、リビングルームと奏者の空間は、境界線により隔絶されているように見えた
奏者は、自分が演奏しない時間は、リビングルームという空間をみつめ、リビングルームに居住する家族を鑑賞する
しかしながら、段々とその境界は、等しく球の形をした穴から染み出したものにより、曖昧になり消え去ってしまう
50/50の音楽と演劇という意味を、じわじわと強く明確に感じた
初めは、演者の感情を表現し、演者を操り高める音楽かと思っていたが、そうではない

生演奏と演劇が共存する本作、じんわりとくる後味を噛み締めている
これはなんというか、自身の観劇人生に名を連ねる衝撃的な出会いだったのではないかというなにかが、じわじわと押し寄せてきている
改修前の池袋芸術劇場での思い出を、また1つ積み重ねることができた

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