悶絶躄地



(続)軌道




ー 私が丸裸になった



ちょうど高校に入ったくらいの頃、怪我をして、1ヶ月くらいのドクターストップがかかった。
すぐに個人の試合があって、出れるか出れないかの状態だったけど気合いで出た。痛み止めとテーピングガチガチで。
アドレナリンって凄いよね。骨折れてたけど最後までやり切れるんだもん。

結局本戦の3回戦目くらいで負けちゃったんだけど。
試合終わった途端マジで歩けなくなって、怒られた。

この試合が終わってから団体戦までの期間1ヶ月くらい、丸々コートに立てなくなった。


支えであったテニスを取り上げられた、とでも言うべきかな。
崩壊寸前のメンタルを叩き潰された訳です。


サトミとして生きなければいけない私が私を保てていたのはテニスのおかげであって、それが出来なくなったという事はつまりサトミとして生きられなくなったという事で。サトミという盾がなくなって丸裸になった私はどう生きればいいかもわからなくなった。

なんせ今まで私として生きてこなかったから。



ー 傷の意義


死にたい、消えたい、全部なにもかもぶち壊したい。
衝動だけが大きくなって、行動に移し始めた。と言うよりは何も考えずに体を切りまくってた。
血の付いたカッター。血だらけの体。床に出来た血溜まり。
非日常の赤を見て我に返って

「あ、これが俗に言うリストカットか。」

って思ったのを覚えてる。罪悪感なんて微塵も無かった。
なんなら快感になってた。

生きた心地がした、というか。
生きている事を忘れられた、というか。

この頃はもう布団に入っても一睡もできなかったし、食欲も全く無くて何か食べても味を感じなかったし口に入れるだけで気持ち悪かった。
だけど寝ないと怒られるから寝たフリして涙を押し殺してたし、食べないとゴミを見る目で睨まれるから無理やり詰め込んでた。
吐きたかったけど嘔吐恐怖症で吐けなくてトイレで泣いた。

the負のループ。
This is 負のループ。

それでも学校に行かなければ。その固定観念は払拭できなくて。
休めば怠けていると思われる。頑張っていない私は必要とされない。此の期に及んで両親に捨てられぬよう必死だった。捨てられれば、きっとテニスさえも出来なくなってしまう。

今思えば学校に行けるような状態なんかじゃ無かったんだけど。
傷を見ればなんだか安心して、とりあえず学校に行くために家を出ていた。


睡眠障害と摂食障害はここから始まって、同時に自傷の沼にも嵌った。

傷付けることで私を守ってた。テニスができるようにさえなれば元に戻れる。辞められる。そう思ってた。



ー 頑張れない


怪我が治って練習も再開して、純粋に嬉しかった。
だけど寝られないしご飯も美味しくないし無意識に傷付けてる。
非日常であったっはずの赤は日常の赤になった。
テニスですらも支えきれないくらいにメンタルがぶっ壊れてた。

それに気付いてからも私は頑張る事を辞めなかった。辞められなかった。
サトミとして生きなければ、頑張る姿を見せなければ、居場所がない。
そのために傷付けてた。私を傷付ければサトミは生きられる。
生きる術として自傷を手に入れてしまったもんで私は強くなった気になってた。

気になってただけ。

その時はそれが良い事じゃないって気が付く余裕なんてなかった。今を乗り切る事に必死だったから。
そうでもしないと練習にも行けない、そんな状態。

限界なんてとっくに超えてたくせに見て見ぬフリをして、頑張り続けた。


秋頃にはあんまり目が見えなくなっていた。
聴力もさらにガクッと落ちていた。体がサインを出してた。


それでも頑張り続けた。

そして頑張れなくなった。


どう足掻いても起き上がれない。布団から出られない。会話も出来ない。感情なんて無い。サトミでも私でもない肉体だけが転がってた。
さすがに学校を休む事を許された。

内科、整形外科、耳鼻科、脳外科、回って色々な検査を受けた。
どこも異常無し。


ああ、精神が壊れているのか。


初めて自分の精神状態がなにかおかしいって感じた。

「精神科に連れて行ってください。」って母親に伝えた。
苦しかったから。治したいって思ったから。


「なんで?あんなところ行くもんじゃない。検査してわかったでしょ?気持ちの問題だよ。あんたが弱いからそうなんの。」



(なんで?????)



「治したいです。しんどいです。」
いくらそう言っても世間体を一番に気にする彼らには無駄だった。


休み始めて2週間くらいかな、
「いい加減学校に行け。」そう言われて、私はもう一度学校に行き始めた。
久々に顔出したら「サトミちゃん生きてたんだ。」って誰かに言われた。
ほとんど遅刻してたし、行っても保健室とかトイレとか体育館の更衣室とかにこもってた。
教室に行った時も服の中にイヤホン通してずっと音楽を聴いてた。携帯の持ち込みすら違反の学校だったけど、怒られなかった。見逃されてた。もちろん勉強もしなかった。授業すら受けてないもんだから、テストは赤点ばっかり。初めて100点満点のテストで3点を取った。

初めての反抗。

先生からも親からも見捨てられればもう勉強しなくていい、そんな事を考えてた。
計算外だったのは仲良くしてた先生の教科がほとんど空欄の解答なのに赤点を免れてしまった事かな。
あんなに勉強をしなくちゃ、上位を取らなくちゃって考えに囚われていたけど、これを境にその考えは無くなった。


とりあえず強くならなくちゃ。メンタルが弱いからしんどいんだ。自力でなんとかしなくては。誰も頼れない。頼っちゃいけない。弱いとこは人に見せてはいけない。


「そんな状態でテニスやったって時間の無駄だよ。」
そう言われたけどテニスコートにだけは立ち続けた。たった一つの居場所であり逃げ場所だったから。私の人生にテニスが無かったら、取り返しのつかないくらいまで壊れてた。きっと。テニスが大好きで良かった。

欲を言えば勉強も学校も全部捨ててテニスだけをしていたかった。
とにかくテニスだけは純粋に好きで楽しかった。



ー 黒田さん


冬頃から拒食の反動から過食に走るようになった。
とりあえず目に入るものを胃に詰める。もう食べれないとわかっていても口に入れずにはいられなかった。吐きそうになってもやっぱり吐けない。嘔吐恐怖症の性。詰め込んだものが口まで上がってきても吐けない。全部飲み込んだ。自分のゲロ飲み込むために生きてんのか私は。


『どうせ吐けないんだから食うなよ。いい加減にしろクズはさっさと消えろ。』


過食きっかけで、私を罵倒してくる人格が生まれた。
黒田さんって呼んでる。

過呼吸を起こすようにもなった。そのまま意識を失うこともよくあった。このまま死にてえな。目なんか覚さなきゃいいのに。ここまでがセット。

治したい気持ちが無くなった訳ではなかったけれど、それより希死念慮の方が強くなっていて、いつどこでどうやって、まで考えるようになってた。毎日、毎日。

高校最初の1年間で私は落ちるところまで落ちた。

高校1年の最後のテスト、赤点取って進級できなければ学校辞められる。そう思って勉強しなかった。だけどやっぱり赤点を免れてしまった。なんでだよ。でも出席日数足りないよな?え?なんで足りてるの?遅刻早退欠席もっと多いけど?

今まで頑張りすぎたせいで全部無かったことにされてた。
計画失敗。私、高校2年生確定。

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