見出し画像

生きるということ

俺は大阪府出身/徳島県在住/24歳/男/大卒/フリーター(お寺でバイト)/お野菜育ててる/ガンダムにハマってる 人。
こんな自分が全人類、もしくは全生物に対して言えることは無いと思いつつ、しかし、追求せずにはいられないので、表題に対しての考えを言いたいと思う。

変わらないこと

まず、生きるということの答えや証明は“一つ”の固定された状態では無い、と考える。
諸行無常
___(諸行)全ての物事において、(無常)変わらないものはない。
と同一と考えている。生きること自体諸行無常であり、一つの何かを指すことでは無い。

そこで、「変わらない」という物事が本当に無いかを考える。例えば、石。ただ道にぽつんとあるものも雨風や動物との接触がないとは言えない。では人の感情、愛するや欲望はどうか。これこそ一定で居続けることは難しい。何かに影響されずにはいられない。
「変わらない」という言葉があるのに、具体的な物事はないのだろうか?
だから僕はこう考えた。「『変わらない』ことが生き『よう』とすること」ではないか、と。何においても変わることは自明の理。「変わり続けるから生きている」ではどこか受動的で保守的。
変わらないで在り続けようとすることが生きることではないか?

変わるという変わらないこと

しかし、もう一つ階層をあげると、生きるという方向性は変わることは無い。どの物事も生き続けようとする。
生きること自体変わらないこと。
諸行無常と言えど、生き方には当てはまっても、生きるには当てはまらないのかもしれないなぁ。だから変わり続けて生きることも「生きる」という変わらないことに内包される訳だ。

生きるということ

ここまでいくと、もう生きたいように生きればいい、となるのは俺だけだろうか。
つらつら言葉を並べても、言えることは「で?」ってなることしかない。
もう、「で?」だ。何回読んでも「で?」ってなることは変わらない(かもしれない)。

けどね、今、ここ半年ぐらいかな、幸福的感情を毎日得てる。
でもそれは、「なんかもうどうでもいい…」ってある種の達成的感情と背中合わせ。
だから、今 生きている とも、
もう 生きていない とも言える。
だから、生きるということは“一つ”の固定された状態を指さないと思う。
川が海まで流れるように
木が空まで伸びるように
野菜が実をつけるように
その瞬間を全うし、その人生を全うする以外に在ることは無いのだと思うばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?