なぜ実力のある人ほど、謙虚なのか
最近、修論の執筆や内定先でのインターンシップに取り組むなかで、「謙虚でいるって難しいなあ」と感じます。
私は特段能力が高いわけでもないのに、なぜかプライドが高く、指摘されたことに対して素直に「すいません」と受け入れることができないことがあります。
逆に、「きっと自分ならできる」と自分に期待することはたぶん得意なのですが、そんな過信を持てば持つほど、“上手くできなかった時の自分”を受け入れることができず、そんな自分が嫌になって、泣きたくなったりします。
考えてみれば、研究だってインターンだって、まだ何の経験も積んでなくて何の能力もない自分が、いきなりできちゃう方がおかしいのに。
だけど普通、謙虚でいることが難しくなるのは、私のようなまだペーペーの若者よりも、ある程度経験値があり、実力のある人のような気がします。
ーーここまで書いてみて気づいたのは、謙虚になれないというのは、弱さなのではないかということです。
そして逆に謙虚でいられるのは、その人の強さの反映なのではないかと思いました。
“謙虚でいられない”ということは、自分の不出来を受け入れることができず、自分の見栄を張ってしまうという弱さがあるということ。
逆に“謙虚でいられる”ということは、自分の不出来を自ら受け入れ、自分の見栄を張らずとも、自分を保つことができるという強さがある証拠だといえます。
つまり、
という流れなのではないでしょうか。
なんだかこれまで、“実力があるのに謙虚な人”ってすごいなあと、ある種の矛盾のようなものを感じてきたのですが、こうして整理してみると、実力がある人ほど謙虚であることに納得ができました。
謙虚な人にはすごく憧れるので、私もいつか、強さと謙虚さを身につけたかっこいい大人になりたいです。
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