ーKINOKUNIYA カスタードプリン(239円)ー またね、と言って手を振った。おばあちゃんと別れて、今の住まいへ帰る。特急に乗って約2時間。幼い頃、故郷からおばあちゃんの家に行くより随分と近くなった。 毎日仕事に追われると、自分のことだけでいっぱいになる。手帳が書けなくなり、何を食べたいかよく分からなくなるのが、わたしのシグナル。ふと人疲れを自覚した時、会いたくなるのがおばあちゃん。おばあちゃんは小さな頃から、威張らず欲張らず、ただ等身大に「よく来てくれたね、
グラスを伝う水滴が、テーブルに円を描く。「まだかかりそう」という2度目のLINEは、返信せずに液晶を消した。 そういえば、ずっと一緒にいた人ほど、卒業を機に二度と会わないような別れ方をしている。もしかすると、また何か間違えたのかもしれない。冷ややかな予感は、胸をキュッと締めつける。 この春、隣県とはいえども、300キロ以上離れたこの土地へきた。だだっ広い土地にある空気は、拍子抜けするほどきれいで染みる。昨日まで雑踏の中にいたとは思えないほど、静かな景色が広がっていた
何度この席に来たのだろう。 本屋の上の階にあるカフェは、全席20席くらいの程よい大きさ。 わたしはかならずと言っていいほど、「抹茶と小豆、白玉のプチパフェ」を食べる。 高2の時には、3駅ほどの切符と同じくらいのお手頃な値段に惹かれたし、ダイエット中には、バナナでかさ増ししているヘルシーさに惹かれた。学校をサボった日は、忙しなく行き来する人たちからは死角になるソファ席に救われたことも。 そして、社会人になってからは、馴染みの味と居場所を求めて、また同じパフェを頼む
人生で初めて、というのは不意に訪れる。ドクターストップを受けるなんて思ってもみなかった。 初夏、何をしても気持ちがいい風の吹く頃 毎日の仕事はそれなりに面倒はあるけれど、そこそこのやりがいと手応えを感じる。これがアラサーの強さか、かっこいいかも、なんて飄々としながら資料を抱えてせっせと歩く。トローチを舐めて、先へ急いだ。 月曜日、どうも調子が悪い。もしかしたらサザエさん症候群を引きずってしまったかな。いや、紛れもなく熱がある。久しぶりの有休は、辛い中でも、日々の
「感涙」や「泣ける」など、本の帯には胸を震わされることを示して興味を引こうとする一言がよくある。 本屋さんでその一言を見つけるたびに、心にひそむ天の邪鬼が現れて、「ちょっとなぁ…」と距離を取る。そう、帯の言うとおりに泣くのがわかっているから、ちょっぴり癪なのだ。 それでも、気になるから読む。読むと泣く。特に、重松清の本はいけない。あらゆる感情がもつれてあたたかい涙が伝うのだ。 読み耽って本の帯がくたくたになる頃、ようやく「感涙」や「泣ける」という一言を受け入れる
海が好きだ。波の下には静かな生に満ちている。キラキラした水面は、何度見ても美しい。 「あの頂上へ行こう。」と父に誘われて、テトラポットまで泳いだことがある。浮き輪に揺られたりビート板がわりにしたりして、どんどん沖に行く。父は早く到着して、わたしを待っていた。笑顔で手を振る父はまだ若かった。 好まれるような行動を起こすたびに世界が狭くなっていく。評価される日常でわずかなズレに気がついた頃から、子どもではなくなっていった。 飛びたいから飛ぶ、その自由とリスクは自分の
「不在の存在感」とでもいうのだろうか。 いるはずの人がいない。あるべきところにない。会えないことは分かってはいるが、風が吹き抜けるように心を持っていかれることがある。随分と慣れたけれども、三回忌を過ぎてもなお、チクリと胸が痛む。 祖父は、分かっていたのかもしれない。 「ゆっくり休んで、気持ちよくすごしてね。」 人工呼吸器越しにかすかに聞こえた声。 帰り道に金木犀の香りがした。祖父の倒れた夏を過ぎ、秋から冬へとたしかに歩んでいた。 祖父に愛された遺品は、優
「デートだね。」 シンプルで良い言葉だ。休日のコメダ珈琲でフクロウが笑いかける。 モンブランとシロノワール、コーヒー二つを注文したら、仮想引っ越しタイム。「この間取りいいね。」「立地はこんなところはどう?」と予定もないけれど好みをすり合わせるのは楽しい。 農道沿いの2K4万円の物件が一番手になった頃、アイスクリームが溶けてしまった。まあ、いいか。 これからも広い世界の一角で、身の丈に合うくらいの幸せと暮らせればいい。