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帯と天の邪鬼
「感涙」や「泣ける」など、本の帯には胸を震わされることを示して興味を引こうとする一言がよくある。
本屋さんでその一言を見つけるたびに、心にひそむ天の邪鬼が現れて、「ちょっとなぁ…」と距離を取る。そう、帯の言うとおりに泣くのがわかっているから、ちょっぴり癪なのだ。
それでも、気になるから読む。読むと泣く。特に、重松清の本はいけない。あらゆる感情がもつれてあたたかい涙が伝うのだ。
読み耽って本の帯がくたくたになる頃、ようやく「感涙」や「泣ける」という一言を受け入れる瞬間がある。天の邪鬼が突き放そうとしていたのに、むしろ「あぁ、よかったな」と、誰かと感情を共有したくなるのだ。
読書はひとりでするけれど、同じものを世界のどこかで誰かが読んでいる。必ず、わたしと同じくらいか、それ以上の熱量で、一冊を受け止めている人がいるはずだ。それは、とても素敵なことだと思う。
稀に、帯を書いた人と、見えない糸電話で話すように心が通い合うような気がする。それはとても豊かなひと時で、何倍にも膨れた心が宙に浮くような充実感に満たされる。
ゆっくり歩む読書街道は、どんな景色を見せてくれるのだろう。たまに、誰かとハイタッチするような出会いがあるといい。
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