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プチパフェの栗
何度この席に来たのだろう。
本屋の上の階にあるカフェは、全席20席くらいの程よい大きさ。
わたしはかならずと言っていいほど、「抹茶と小豆、白玉のプチパフェ」を食べる。
高2の時には、3駅ほどの切符と同じくらいのお手頃な値段に惹かれたし、ダイエット中には、バナナでかさ増ししているヘルシーさに惹かれた。学校をサボった日は、忙しなく行き来する人たちからは死角になるソファ席に救われたことも。
そして、社会人になってからは、馴染みの味と居場所を求めて、また同じパフェを頼む。
「抹茶と小豆、白玉」と並んだ主役たちより、ひときわ輝くトッピングがある。
「栗」だ。
今日もいつもどおり、栗を食べるタイミングに迷っている。「ラーメンの煮卵」「ショートケーキの苺」「好きなネタの寿司」くらいタイミングを探る。
主役だから、と端に寄せてとりあえず一番多く入っているコーンフレークとアイスを食べる。抹茶が濃くてひんやり美味しい。全体的にアイスが混ざった頃、白玉を食べた。もちもち、ほんのり甘い。餅つきから厨房でしたかと思うほど、美味しい。お米の甘さに安心する。
さて、底が見えてきた。まだ栗はそこにある。
この状況に出会うたび、否応なくわたしの姿と向き合っている。
食べちゃおう!とパクリ一口で行く日は、決められるからたいていのことは上手くいく。
今か後か迷う日は、何か気にしていることが多い。たいてい、自分ではどうにもできない、誰かの評価だ。
さあ、今日はどんな自分?
結局、栗とにらめっこするうちに、わたしはわたしの姿に向き合ってしまう。
それがいいか悪いか分からないけれど、とりあえず、まだまだだなぁ〜。おみくじを引く時に内省するのと同じ気持ち。
そういえば、今日は、カフェの下にある本屋で、益田ミリさんの「マリコ、うまくいくよ」を買った。栗を前に読み始める。
同じ職場にいる20代、30代、40代のマリコたちの本音に、くすっとくる。小さな共感と納得を繰り返すうちに、いつしか心が軽くなってきた。
明日も働くか〜
本に栞を挟んでから、伸びをした。
明日への勇気が少し湧いた気がする。
久しぶりにスプーンを口に運んで気づいた。
いつの間にか栗がない。
今日のわたしはどんな姿か、占いの結果はよく分からなかったけれど、これが今のわたしだ。
会計をしてまた本屋に戻った時、足取りは、さっきより少し軽かった。
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