地平線の記憶
海が好きだ。波の下には静かな生に満ちている。キラキラした水面は、何度見ても美しい。
「あの頂上へ行こう。」と父に誘われて、テトラポットまで泳いだことがある。浮き輪に揺られたりビート板がわりにしたりして、どんどん沖に行く。父は早く到着して、わたしを待っていた。笑顔で手を振る父はまだ若かった。
好まれるような行動を起こすたびに世界が狭くなっていく。評価される日常でわずかなズレに気がついた頃から、子どもではなくなっていった。
飛びたいから飛ぶ、その自由とリスクは自分のもの。かもめのジョナサンの周りにはその姿を理解できなかったり誤解したりする者がいたけれど、それでも飛ぶことに真っ直ぐだったジョナサンの生き方。わたしもそうでありたいと願う。
「走りながら考える子」とわたしを形容した先生がいた。そのとおりかもしれない。
「死ぬ時には何も持てない。だからせめて、胸いっぱいの思い出を抱きしめる。いつか悪かった思い出もよいものになる。」と吉本ばななの本にあった。
そうだ、このままでいい。リスクも背負って、過去も背負って、軽やかに飛べばいい。
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