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旅情とプリン

 ーKINOKUNIYA カスタードプリン(239円)ー

 またね、と言って手を振った。おばあちゃんと別れて、今の住まいへ帰る。特急に乗って約2時間。幼い頃、故郷からおばあちゃんの家に行くより随分と近くなった。

 毎日仕事に追われると、自分のことだけでいっぱいになる。手帳が書けなくなり、何を食べたいかよく分からなくなるのが、わたしのシグナル。ふと人疲れを自覚した時、会いたくなるのがおばあちゃん。おばあちゃんは小さな頃から、威張らず欲張らず、ただ等身大に「よく来てくれたね、嬉しいよ」「何ができるわけでもないけれど、会いにきてくれてありがとう」と迎えてくれる。言わない勇気がある人だ。

 いつでも会えるわけではないから、たまに会える時を大切にする。「次に会える時にボケていないようにするね」「今が最後かもしれないと思ってお別れするのよ」と必ず去り際に言う。それを言われるのが切ないけれど、よしまたがんばろう、と思う。

 おじいちゃんが亡くなってそろそろ三年になる。ずっとおばあちゃんは一人でいた。とにかく小さくて細い体。それでも大病せずに、慎ましやかに暮らしている。飾り気のないのが美しい。わたしはどうしてもよく見せようとしてしまうのに、おばあちゃんは決して無理しない。愛される秘訣がわかる気がする。


 朝の散歩で寄り道したパン屋さんでは、おばあちゃんはチョココロネ、わたしは瀬戸内レモンコロネを買った。さくらんぼを添えて、お昼ご飯にした。出発前、二人だけの静かな時間を味わう。

 帽子を被り、荷物を背負った。最寄り駅までは徒歩15分。ジリジリと照りつける太陽に、一歩踏み出すだけで汗が滲む。いつもどおり、「またね」「元気でいてね」と言って歩き出す。信号が青になり、歩道を渡って振り返る。手を振り合いながら、なるべく笑顔でいるようにする。

 このひとときは、確かおじいちゃんが生きていた時にもあった。背の高い日に焼けたおじいちゃんと、小さくてか弱そうなおばあちゃん。あの時の身長差を今でも覚えている。

 おばあちゃんは、ついにわたしの姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた。あと5メートル手前では見えていたのに、今はもう見えない。ついに前を向く時が来た。

 また会える、と信じていてもふと過ぎることがある。これが最後かもしれない。このバランスの取れた毎日が傾くことはいつあってもおかしくないから。大人になるにつれて、その怖さを身をもって学習してしまった。


 でも大丈夫、あの手の温かさは覚えている。小さくて皺があって、爪がきれいで艶々した手。


 また会えますように、と願いつつ、ひと匙の現実が過ぎる。溢れる思い出に胸が詰まる。そんなことを考えているとなかなか歩けない。目から涙がこぼれ落ちないように、と堪える。仕方ない、頬を涙が伝う。終いには、生きるって幸せだな、また会いに行こう、なんて充足感に浸る。

 一回泣くと、マラソンを走り切ったようにくたくた。思考が巡ると、とりあえず甘いものが食べたい。あわよくば、今は電車に酔わないようなものを。

 駅に着いてルミネへ行くと、キラキラした照明の元でお土産やお惣菜が並ぶ。一回りしても決まらなかった。そんな時、奥にKINOKUNIYAを見つけた。そうだ、母の好きなちょっと高いお店だ。導かれるように入ると、上品だけど素朴な食品が並んでいた。ここなら見つかりそう、わたしの慰めおやつ。


 冷蔵ケースの冷気が気持ちいい。日焼けした肌をクールダウンしながら歩くと、平置きでプリンがあった。あ、膜がしっかりしてそう。これは硬めな食感、ビターなカラメルとみた。これなら食べられる気がする。二つ買った。もう一つ、その上にあったレモンメレンゲパイも。


 指定席に着くと、行きよりも空いていた。余裕があるのはありがたい。さっそく机を出して、プリンを丸い凹みに置く。ちょうどよくはまる。


 一口目、薄い膜をゆっくり破る感覚を楽しみ、スプーンの形がしっかり残るこの硬さ。待ちに待った感覚だ。思っていた以上においしい。アルミの銀の器がひんやりしていて「今が一番おいしいよ」と二口目を誘ってくる。保冷剤を顔に当てると、肌も心もさっぱりした。


 いつも迷いの中にいた。

 「ここにいていいのか」「求められるためには」「どうなりたいのか」

 ひたすら考えては、居場所を探す日々。家庭にも安心していられなかった。でも、今は大丈夫。きっとまた会える。軽やかに、ご縁がつながる自然さを思いながら、プリンを食べる。


 このひと時を特急券で買ったのか。
 
 明日から始まる忙しなさを予感しつつも、すべてうまくいく気がした。慎ましやかに、感謝しながら、日々に手を振るように過ごしていこう。

 緑の広がる窓の外を眺めていると、おそろしいほどの眠気が襲ってきた。目覚めた時、日常に戻る。いつのまにか、プリンは食べ終え、保冷剤は溶けていた。

水、飲もうね

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