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人生で、私を見てくれたひと 2人目

あんなに幸せだった時間を結局母親に振り回され、家族に幸福追求権をぶち壊しにされた私でしたが、実は、私の力になってくれる人の2人目に出会っていました。

高校生になってから、ひなこさん以来の、私を見てくれる人と出会えたのです。(太田くんは??という声が聞こえてきそうですが、太田くんは迷惑をかけすぎてしまったということと、人間関係というよりも恋愛関係という感じで私も良い恰好をしていたところがあったのでカウントはしてないです。謎の理論ですが)

私の、高校生活での唯一の居場所を作ってくれた人。

部活の顧問の先生、さと先生です。

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さと先生は、有名な高校の女子バスケットボール部でキャプテンをしていて、全国大会にも出たことがある方でした。とても厳格で、妥協を一切許さない、そして本当に聡明な方でした。


私は、「教師」というものを信用していませんでした。

過去に、「母親とウマが合わない」と相談して猛烈に説教されました。いじめられていても見て見ぬふり。むしろ加担してくる人もいました。成績表のコメントに、『成績だけは優等生。その他は最劣等生』という感想を書いてきた人もいました。

良い先生というものに出会ったことが無く、全く尊敬の念を抱いたことはありませんでした。年上の人なので敬語は使いますし、マナーは守りますが、必要以上の敬意を払おうと思ったことは一度もありませんでした。それはさと先生に対しても例外ではありませんでした。



ある日、私のオアシスである放課後の部活中の体育館に、総合特別科(私と同じ学科)の人が入ってきました。体育の水泳の授業を休んだ時の分のレポートを提出しに来たとかで、3人の女子がさと先生と話していました。

私は半分に割られた体育館の、反対側のコートにいたのでその子たちに気付かれることはないだろうと言い聞かせてはいるものの、心臓がバクバクと大暴れしているのをしっかりと感じていました。


私の行っていた高校の制度は特殊なのかどうなのか分かりませんが、大学のような制度を導入しており、「○○先生はサッカー、××先生は卓球」「○○先生はマラソン、××先生はなわとび」というように3カ月ごとに内容の選択をし、その担当の先生から教わる、というような体制で進められていました。

私の学科は2クラス合同で体育で行っており、全員から空気扱いを受けるので地獄すぎる時間だったのですが、それはさておき、担当の先生はさと先生と、サッカー部の顧問の男の先生でした。

男の先生は鼻が高くすっきりとした顔立ちでとても人気がありました。私はいつも自信満々なその態度がとても苦手でした。また、私を中心的に無視しようとする中学のテニス部メンバーは男の先生の方に行っていたことと、部活の先生ということもあり、私はいつもさと先生の担当する競技の方を選択していました。

しかし、競技内容が「水泳」の時だけは、男女で分かれ、全員が一緒に行います。男子は男の先生、女子はさと先生でした。

ですから、普段は顔を合わせることのないさと先生とその3人、そして私が珍しく同じ空間にいることになります。

学科の誰も私が女バスのマネージャーをしているなんて知りませんでしたから、3人とも提出後すぐに体育館を出ようとしましたが、そのうちの1人が私を見つけたらしく、こちらを見てくすくす笑っていました。

「あいつなんで女バスのとこにいるの?」

「完全に場違いじゃん」

「自分も陽キャになったつもりかよ」

「あんな陰気な役立たずがいても邪魔なだけだろ」

「女バスの人たちかわいそう~」

いやいや、全部聞こえてるぞ。

声が大きいし、そもそも隠すつもりが無いのでしょう。反対側の私のところまで聞こえてきました。確かそんな感じのことを言っていたと思います。

これでまた馬鹿にされるネタを与えてしまった・・・
唯一の癒しの楽しい空間が壊されるのは嫌だな・・・

そう思いつつも、下を向いて聞こえていないふりをして、フリースロー練習の準備に入ろうとしました。


その時、ものすごい剣幕の怒号が聞こえました。


「お前ら今なんて言った!?」

声の主は、さと先生でした。

信じられなくて、先生が何を言って怒っていたかはほとんど覚えていません。

聞こえていましたが、本当に信じられませんでした。

「あの子は一生懸命マネージャーをしてくれている。選手もとても助かっているし、感謝している。練習の効率も格段に上がった。頭のキレもいいし周りをよく見ていて本当によく気が付く。あの子は女バスに必要な存在だ」

本当に信じられませんでした。

さと先生から褒められたことなんて一度もありませんでしたし、まさか私への悪口を言っている人を、あの学年の中心人物だった3人のことを怒ってくれる人が現れるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。


あまりのことに驚いて、動揺で、そしてなにより喜びで、練習中に手の震えが止まらなくなりました。

するとさと先生が体育教官室に連れていってくれて、来客用のソファーに私を座らせ、私の震える手をぎゅっと握ってくれました。

両親から撫でてもらったことや抱きしめてもらったことがなかった私は、きっと人のぬくもりを求めていたのでしょう。ひなこさんの前で見せた以来の涙を、さと先生の前で流していました。

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高校3年間、さと先生には怒られたことはもちろんありました。

しかし、体育会系の顧問によくある「理不尽な説教」は一つもありませんでした。頭ごなしに叱りつけられることも、しんどすぎる仕事を頼まれることもありませんでした。


思いきってさと先生に、両親とのことや中学校時代のことを話しました。

私の話をじっと聞いてくれていたさと先生が、いつも厳格であまり表情を崩したりしないさと先生が、すごく痛い顔をして泣いてくれたこと。
母親に殴られて腕や脚にあざを作って登校した私を抱きしめて「負けるな、そんな親に負けるな」と言ってくれたこと。
部活最後の日に、綺麗な細かい字でびっしりと書かれた12枚にわたる超長文のお手紙をくれたこと。


絶対、という言葉はあまり使わないようにしているのですが、これは断言できます。

私はさと先生にかけてもらった言葉、

してもらったこと、

その全てを、

絶対、

一生、

忘れません。


こうして私は、

人生で2人目の人に出会うことが出来ました。

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