小4で始まった勉強漬けの日々
両親から、特に望まれて生まれてきたわけではないと知って、それでも一縷の望みを捨てきれずに、勉強だけは本気で頑張っていました。
勉強が好きだったのか?
いいえ、真逆です。私は勉強が大嫌いでした。
苦手と言うよりも、楽しいことしかしたくなくて、算数の問題を解くことや漢字をたくさん覚えることになんの価値も見出せていませんでした。
前に記事でも少し書いていましたが、とにかく私の両親は、
点が取れて当たり前、
取れなかったら叱責の限りを尽くす
という感じの人たちでした。
私が勉強嫌いで、友だちと遊ぶことの方が好きだと気付いた母親に、強制的に塾に通わされ始めたのです。勉強を頑張っていた、というよりも勉強を頑張らされていた、と言った方が正しいかもしれません。
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塾に通わせてもらっているのにそんな言い方をするなんて、なんて罰当たりな!通いたくても通えない子もいるのに!
そんな声が聞こえてきそうな書き方をしてしまいましたが、その当時の私は、塾に行くのが嫌すぎて円形脱毛症と散発的な失声症を併発しているほどだったので、こう書く以外に他の書き方が思い浮かびませんでした。
小学4年生で塾に入ってからというもの、母親の思惑通り私は常に勉強をせざるを得ない状況に陥りました。
そんな大げさな、と思われてしまいそうなのでしんどすぎたあの頃の内情を少しかいつまんで書きたいと思います。
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➀塾に拘束される時間が長い
小学校が終わってから、17時に授業が始まるので遊びになんて行けません。しかも隣町の全国展開している有名塾に行っていたので学校が終わってすぐ塾のバスに乗らなければいけないのでサボることなんて出来ません。授業が終わるのは夜の20時半、そこからバスに乗るので家に着くのは21時半頃でした。
塾では、先生もとても厳しく、勉強する以外の選択肢がほぼなかったので17時から20時半までずっと勉強をしていたと思います。
これを月・水・木・土の週4日繰り返していました。
②鬼のような宿題の量
週4塾でも、週3は遊べるのでは?
とまたまた声が聞こえてきそうですが、そういうわけにもいきませんでした。次に私の前に立ちはだかったのは、『宿題』です。
学校の宿題の3倍の量はある、有名私立中学の入試問題などを宿題に出されて、分からなさ過ぎてほぼ毎日泣きながら宿題に取り組んでいました。
③母親の監視
上の2つの項目だけでも結構な重さだったのですが、最も精神的に私を苦しめたのはこれです。
ゲームを買ってもらったことも、テレビを見せてもらったこともなく、娯楽と言えば本を読むこととラジオを聴くことしかありませんでした。
部屋には外から鍵をかけられるようにされていて、本棚と布団と勉強机しかない6畳の簡素すぎる部屋だったので、一度部屋に入ると勉強しかやることがなかったわけです。
一度窓から外に出てみたことがありましたが、バレて5日間ご飯を食べさせてもらえずシンプルに死にそうだったので、抵抗することが得策でないことは分かっていました。
部屋の鍵は2時間ごとに15分だけ開けてもらえて、その間にトイレに行ったり水を飲んだりします(ここまで書いて、やってることがなんかもう刑務所とかに似てるなと思いました、入ったことないけど)。
ご飯とお風呂の時間以外はずっと部屋にこもって机に向かっている状態でした。
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そんな状態だったので小学校の勉強やテストは余裕すぎだったのですが、ごくたまに、計算ミスで98点を取ったりしてしまうことがありました。
そんな時には母親が横にずっとついている状態で、
「1冊の計算ドリルや漢字ドリルを1日で終わらせるまで寝られません」
がスタートします。
タメになる内容だったのかもしれませんが、残念ながらそれを楽しいと思えたことは一度もなく終わりました。
あ、
終えたのは小学4年生ではありません。
友だちと遊ぶことも
旅行に連れていってもらったりすることも
出来ず許されない状態が3年間続き、
気付けば私は
そのまま小学生を終え、
中学生になろうとしていました。
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