いつか過去になるいまを生きる
新しい土地、新しい人、新しい匂い。
いろんな「新しい」が私を変えていっている、そんな確かな実感とともに目の前を通り過ぎていく風景が、ちょっとだけ名残惜しかったり。
桜、咲き始め。
久しぶりに会う友達と、久しぶりに訪れた場所で、今年初めての桜を見た。
上野公園、6年ぶりくらいに来た気がする。
平日なのにびっくりするほど多い人、人、人。
脇道に逸れて見つけた上野東照宮は別世界かのように穏やかだった。
『いいね静かで』
『いいねぇ』
『ほんとに19歳の会話かよ』
蕾っていいな。特に何か考えていたわけではないけれど、ふとそう思った。
お参りすることにした。
上野東照宮のご利益は、「出世、勝利、健康長寿」らしい。
私の願いは一つだけ。
口にしたら叶わないとかなんとか、言っていた気がするからここにも書かないでおく。
ただ、大切な人の幸せを願って。
絵馬も書きたいね、なんて言っていたけど
『去年〇〇大学合格しますようにって絵馬に書いたけど共通テスト失敗して受けてすらないわ』
『私も去年絵馬書いたけど叶わなかったよ』
『600円だって』
『高いな』
『それな』
『……やめるかあ』
叶わなかった理由がなんとなくわかった気がする。
桜は私の一番好きな花だ。
私が生まれた日も桜は満開だったらしい。
一番好きな場所は、地元の桜並木。
小学校の入学式の帰り、家族でそこを通ったのがその場所の一番古い記憶だ。
毎年そこの桜を見るまで春が来た気がしない。
3月になるとちらほら写真を撮りに来る人がいるけれど、ほとんど地元の人しか知らない、ある橋の遊歩道。
私だけの大切な場所。
去年、桜を見るためだけにOLYMPUSのカメラを片手に外へ出た。
その時の写真。
今年はいつ見に行けるかな、明日にでも見に行こうか。
春が来る予感がする。
写真っていい。
今この瞬間を切り取った平面上のそれはどこか物足りない気もするけれど、だからこそ良いのかもしれない。
写真は記憶を引っ張り出す手助けをしてくれる。
写真を見て、「あの時」を思い浮かべて、隣にいた誰かを思い出して、言葉や匂いや気温を思い出す。
写真は引き出しに大切に保管された「あの時」を取り出し、もう一度出会うための、鍵なのだ。
また新しい春が来る。
たくさん自分と向き合って、たくさんの「新しい」に出逢って、自分の中の生き方や考え方が明確になった。
「自分の人生を生きること」
きっとこれは当たり前のようですごく難しいことだ。
人生を終える時、この道でよかったと心から言えるような生き方がいい。
後悔しない選択を、道を、自分の選んだ人と一緒に歩いて行きたい。
目の前に広がる世界から感じ取れることは全て感じ取って自分の生きる道標にしたいのに、通り過ぎてゆく日々も人も風景も、全てが早すぎて取りこぼしまくりだ。
でも「人生は一度きり」って、まさにそういうことなんだろう。
ぼーっとしていたら気づかないうちに通り過ぎて行ってしまうものたちだから、しっかり感じて受け止めていきたい。
いつか過去になってしまうこの瞬間を、私たちはいま確かに生きている。
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