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洗礼ダイアリー

文月悠光さんの洗礼ダイアリーを読んだ。

久しぶりに、教室の後ろからわあわあ騒ぐクラスメイトを静かに見つめている時の気持ちを思い出した。馴染めない、上手くやれない、普通じゃない思春期の自分。

それが今の自分とぴたりと重なった。

今の仕事場はまるであの日の教室だ。リーダーに従い、媚び、目をつけられないよう上手く立ち回る。見えない、けれど間違いなく存在するヒエラルキーに従い皆動く。狭い狭い世界。そして、その世界でうまくやってけない自分。

あの頃と何も変わりはしない。

ただあの頃と違うのは、その世界から逃げる権利があるということ。その世界を幅広い心で見つめることで、自由が手に入ると知っているということ。

私もまだ洗礼の只中だ。

こちらは洗礼ダイアリーを読む前に読んだ、平野紗季子さんの著書。

迷いのない素直な文章に、大いに元気づけられた。

私はもっと出かけて、もっと読んで、もっと書きたい。ずっと昔からそればかりだった。けれど、自分なんかそんなの無理だと、狭い世界へ飛び込んで、一本筋の通った人間になろうとしていた。

そんなことしなくても、一本筋は通せたのに。大したものじゃなくても、人様にお見せできるようなものじゃなくても、自分の好きに忠実であればそれでいいんだ。

すべては自己満足なんだ。

ああ私、不器用だから、これ一本でいこう。

(2017.04.29 00:45)

読んでいただきありがとうございました。サポートしてくださると本づくりが一歩進みます。