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痛みに依存して

「怒って解決するもんでもないから止めないよ」

そう言ってたはずのK先生は顔を顰めてとうとう「やめとき」と言った
痛々しいから だって

「はい、わかりました」

なんて、いくら大好きな人の言葉とはいえそんな簡単に納得出来るわけもなく燻る感情たち


先生の言葉に悪意はない
そんなことはわかってる
先生は何も悪くない
先生だって耐えかねただけ


痛々しいなんてわかってる
だからいつも長袖着てるじゃない?
私が自傷を告白したのは確信を持って尋ねられたからで首を振ったって袖を捲らせるつもりだったのなら踏み込んできたのは向こうなわけで
自傷に限らず自分の重たい話に誰かを引きずり込むのが大嫌いな私は言うつもりなんてさらさらなかったんだけど



今まで散々私の言葉も心もあしらって嗤って無視してきた人たちに訴えるよりよっぽど楽だった。生きやすかった
だから私は自傷を選んだ

誰かに嘆かれるためじゃない
怒られるためでも泣かせるためでもない

誰も傷つけないために選んだ最善だった

なのに今になって否定しないでよ


先生はストレス解消法と言って散歩とか運動とか友達と話すとか買い物とか色んな案をあげてくれた

でもそのどの案も解決には至らない
そんな効力は残念ながら持っていなかった

どうしたって消えてくれなかった不安、焦り、苛立ち
自傷はそれらに対していちはんよく効く薬だった
そんな気がしただけなのかもしれないけれど
ぱっくりと開いた傷だけが、ふわふわとぼやけた頭だけが“私”と“辛さ”を繋いでくれている気がした


腕に並ぶ傷は拡声器の役割を果たしてくれて届かなかった私の泣き声を漸く人に届けてくれた

そう、所詮私の声は届かないのだ   
体が固まって声が出せないそんな私に助けを求める術などない
聞こえないものは無いのと同じ
みんなそうして私のことを見なかった
誰も傍にいてくれないじゃないか


それが傷を知った瞬間から常に気にかけられるようになった
この事実は自傷が私を救ってくれたこととどう違いがあるのだろうか?
心配だ というその言葉はこの傷がなくても向けられただろうか
そばにいてくれただろうか
あなたは、傷がないから治ったから辛くないと言うのだろうか?
そうしてまた私をひとりにするのだろうか

わからない、何もわからない
何も見たくない、聞きたくない、知りたくもない



なんて、そんなの歴代の大人がそうだっただけだ
今そばにいる大人はきっときっと傷の有無に関わらず私を見てくれるんだろう
だからあんな不安もこんな苛立ちも抱くのはお門違いだ
今手元にある言葉は何も悪くないはずだ
記憶の奥に追いやったあの頃と混同させてはいけないはずだ
なのにどうしてだろう
傷を治そうとする度に何かを失ってしまう気がして、不安になってしまう


私はもう正しくなれない


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