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我武者羅に生きる毎日が間違っていないと信じたい|憧れの写真家から学んだこと

最近の私は、好きなことに熱中してあれもこれもと手を出していて、毎日何かにトライしたり準備をしたりと、何かと忙しい日々が続いている。

今日はそんな疲れがたたったのか、何もやる気が起きずにただごはんを食べて寝ているだけしか出来なかった。

しかし、そんな状態でも考えるのは好きなこと。
「どうしたら撮りたい写真が思い通りに撮れるようになるだろう」
「どうしたら自分が納得のいく文章が書けるようになるだろう」
でもやりすぎたあとの反動のことを思うと、思い立って行動することが怖い。好きなことを好きなだけ全力でやりたいのに、もどかしい。

今の私の頭の中は専ら写真のことでいっぱいだ。
今日は行動を起こすことが出来なかったので、カメラについて勉強していた。最近相棒になったPENTAX。もっとこいつのことが知りたい。そんな気持ちでネット検索してみたり、Instagramで最近知って好きになった写真家さんのページを見てみたりしていた。

そんなとき、その写真家さんもXやnoteをやっていることを知って、早速その写真家さんのnoteを開いてみた。
そこで私は今日改めて、自分のやっていることが間違っていないかもしれないと元気をもらえることになった。

「なにを撮るか」ではなく「なぜ撮るか」

まず私が好きな写真家さんと、読んで元気をもらえた記事を紹介しようと思う。

藤澤一さん
本業を別で抱えながら、大阪、東京を拠点に活動されている写真家
暗闇の中の微かな光を操る。藤澤さんの写真に対して、私はそんなイメージを持っている。

そして私が、今日学びを貰えた記事がこちら。

藤澤さんはこの記事で、「なにを撮るか」ではなく「なぜ撮るか」を考えていることについて綴っている。

"「深く広く幸せの影響力を与える」を実現するために写真を撮る"
これが、その写真家さんが最も大切なしていること。
写真を撮るために人に会うのではない、という点に大変驚いた。

なぜ撮るのかに着眼点を置いたことはあまりなかった。私は、ただ好きだから。だから、写真を撮る人は写真を撮ることが好きで取り続けているとばかり思い込んでいた。実際そういった人もいると思うが。

けれど、この記事のなかで藤澤さんは、心が動いた瞬間の言葉を一つもこぼさずメモしていくことによって、なぜ撮っているのかが自ずと分かって来ると仰った。

偶然にも、これは私が地道に続けていたことだった。
言葉では表現出来ない感情をフィルムにおさめるように、ふとしたときに「いいな」と思った言葉をメモして、ある時突然それが繋がったりする。
私の場合は今のところこれが小説に繋がる場合が多いのだが、写真でもそれは共通するのだと知って驚いた。

我武者羅から、道が見えたような気がした

藤澤さんの記事を読んで感じたことは山程あるのだが、とにかく何故だか今は高揚感が収まらない。ので文章もめちゃくちゃかもしれない。

でも、藤澤さんから学んだ「守破離」を徹底していくことこそ、奥ゆかしさのある本物のオリジナリティが生まれるのだと知った私は、今やるべきことが見えた気がしてもどかしさから少し開放された。

今は右も左も分からない赤ちゃんかもしれないが、焦らず、順序を守って、でも徹底してやりたいことに突き進んでいく
これが今私のやるべきことだ。あと必要なのは、ほんの少しの勇気だけ。

今週から少しずつではあるが、撮影に協力してくれる人との約束も詰まっている。今日の学びを忘れずに、でも楽しんで色々なことを勉強していけたらと思う。

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