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仏SF映画「ラ・ジュテ」に見るタイムトラベルと魂の行方/ぶりゃん

はじめまして。しぴ研究結社メンバーのぶりゃんと言います😙
映画や音楽などのライターをしてます。今回は、フランスの映画「ラ・ジュテ」について書きます。
この映画は、クリス・マイケル監督による1962年の傑作SF映画です。上映時間が30分にも満たない短編映画ですが、後世に多大な影響を与えていて、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の押井守監督は、「ラ・ジュテ」を見て映画監督を目指したと語っています。

※※※※⚠️注意⚠️※※※※
この記事には、映画「ラ・ジュテ」のネタバレが含まれます。
未見の方はお気をつけください!
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↓ネタバレOKの方はスクロール
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なお、この記事は、しぴ研究結社の代表大塚が作った、KJ-GPTというアプリの出力を加筆修正しながら執筆してます🤖

このアプリはKJ法に準拠したものです。今回は、KJ法でいう「A型図解」という図も作りました。

以下の文章の運びはこの図をもとにしています。最初は一番上の(1)から始まって、矢印に沿って順次、路地に入ったり寄り道したりしながら流れていきます。

皆さんもよかったらこのKJ-GPTを使ってみてください😌


「ラ・ジュテ」に見るタイムトラベルと魂の行方


人間の狂気

ごく少数の識者の卓見によると、持久戦としての東西冷戦こそ第3次世界大戦であり、それに引き続く対テロ内戦は第4次世界大戦であるとみなされている(*1)。そう思うと、冷戦の時代に生まれた人たちの心の中には、どんなに平和だと言われても常に緊張が走ってたのかもしれない。そして今の時代も、目に見えない敵との闘いがあるってことだ。

主人公の男

映画「ラ・ジュテ」の中では、架空の第3次世界大戦の数年前、子供の頃に出会ったあるイメージに取り憑かれた主人公の話が展開される。なんだか、過去の記憶って、その人の人生にとって重要な意味を持っているものなのかもしれない。

男に刻み込まれた記憶
大戦における勝者は
敗者を監視する

冷戦を第3次世界大戦と捉え、対テロ戦争が起こるまさに現在が第4次世界大戦の最中だと考えると、この映画が描く人間の狂気と非人道の物語は今でも色褪せない意義を持つ。歴史の中で繰り返される狂気と、そこに生きる人々の苦悩。それを感じさせる映画は、ただの娯楽ではなく、時に私たちに深い問いを投げかける。

平和幻想の実験

意識のタイムトラベル実験

子供だった主人公は大人になり、戦争は終結した。この戦いの勝者は、時間の流れを捉え直し、過去と未来からの救済を探るため、人体実験を始める。僕も昔からタイムトラベルには憧れた。未来に行ってロトの当選番号聞いてくるとか、過去に戻ってミスをやり直すとか。でも、時間を超えるって、一体どんな感覚なのか。きっと苦しいんじゃないかと思う。

焼け跡のパリ

戦争で蹂躙されたパリ。その廃墟をバックに鳴り響く荘厳な音楽。その調和は、なぜか心に響く。この独特の雰囲気と音楽の力ってすごい。廃墟がなんだか美しくさえ感じる。効果的な動く紙芝居で描かれる序章では、荘厳な音楽と共に、廃墟と化したパリの地下施設が舞台になる。アニメーションとかCGが当たり前になった今だからこそ、静止画と音楽だけの紙芝居みたいなシンプルな手法の強さを感じる。

実験に苦しむ主人公

放射能に汚染された世界の救済を求める実験では、何人もの捕虜が犠牲となり命を落とした。失敗を重ねた研究者は、ついにイメージを想像する資質を備えた主人公を見つけだす。10日間の悶絶を続けたのち、彼は時間の抜け穴を通って、悲願の平和だった過去の時代のイメージを現出させる。まるで夢をみたいな記憶が、世界を救うカギになる。

平和な時代の本物の朝
平和な時代の本物の子供

この「ラ・ジュテ」って映画、悲劇的な世界大戦と人体実験を背景に、過去の記憶の重要性を描いている。そう考えると、歴史の狂気や人々の苦悩が、ただの過去の出来事じゃなくて、今この瞬間の私たちに深い問いを投げかけてくる。それって、映画を超えた何かを感じさせる。

因果を超える

初期の成功のあとも、男は実験台になり続け、ついには過去の世界へと旅立つ。そこで彼はひとりの女性と会う。男はその女に見覚えがあったが、しっかりと思い出せない。

男は女と過去で出会う

男女は巨大なセコイアの木の切り株の前に立つ。男は年輪の部分を指差し、自分はここから来たのだと語る。

年輪を指差す男

壁の落書きやセコイアの年輪といった手がかりをもとに、主人公の実在と幸福な関係性を確かめる。現れては消え去る男のふしぎな存在を、女性は受け入れる。静止から動へという変容を通じて、過去と未来、そして存在の謎が解明されていく。

しかし実験に忠実な科学者たちは、主人公の腕に新たな時間の波を注射。その結果、男のイメージは途切れ途切れになってしまう。現実と夢の境界が曖昧になり、感覚が混ざり合う。まるで記憶の断片が散りばめられたパズルを解くようなもどかしさを感じさせる。

こちらを見つめる女性

ふたたび、時間を超える実験という非日常的な体験が、映画「ラ・ジュテ」の中で繰り広げられる。映画を観ていて度肝をぬかれた。女性の寝顔の静止画から始まり、その別カットの写真がパラパラと続いているかと思えば、突如として動画へと昇華し、女性が目を滑らかに開きだすから。そこには時間の流れが凝縮されていて、まるで一瞬と永遠が交差するかのような不思議な感覚に包まれた。

剥製の博物館

ついに主人公は、因果を超越した不思議な再会を果たす。剥製たちの博物館で女と出会う。男女の運命が時空を越えて結ばれる瞬間、それはまさに奇跡のような出来事。記憶の片隅にひっそりと佇む「もしかしたら」という希望が、現実の形を取る瞬間だ。

一方科学者はこの体験によって、意図した過去の場所と時間に男を移動させることに成功した。それは女との出会いがこれで最後になることを意味していた。

時空のせめぎ合い

未来人

過去への時空移動に成功した科学者たちは、次なる目標を未来に置いた。未来への移動は過去よりも守りが固い。ヘトヘトになりながらも、男は未来へ。そこで出会った未来人たちは、過去人である男を明らかに見下していた。でも、その軽蔑する未来人も、過去から来た主人公に何かを感じていたんじゃないか。時代が違えど、人間って同じ悩みを抱えてるから。

未来へのタイムトラベルも成功し、実験の目的を果たした科学者は、主人公を実験道具のようにポイ捨てしようとした。そこを助けたのは未来人だった。
彼らは主人公を未来に来るよう誘ったが、男は敢えて過去の愛を選んでしまったんだ。そのことが主人公の最期を導く。愛とか助け合いって、時を超えても変わらない大切なものだけど、同じくらい残酷なものだって教えてくれる。運命って、時には狂おしいほどに綺麗でいて、そして哀しい。

このように、時間を超えた実験を描いた映画「ラ・ジュテ」は、記憶と存在の深い問いを投げかけている。そして主人公は結局時間から逃れることができなかった。時間って、逃げ場がない。どんなに走っても、どんなに隠れても、必ず追いつかれる。

魂の芯

自分の生まれ育った村や家の中では魂というものが自分を守護してくれる(*2)。あの、ほら、子どもの頃に感じたあったかい何か。それが今でも胸の奥にある安心感っていうのかな。おじいちゃんが言ってた「家の守り神」みたいなものが、ずっとそばで見守ってくれてる気がする。

また、多宇宙ビジョンでは、今人間が暮らしている地球を含む宇宙を、無限にあり得たその他の可能性の中のひとつとして相対的に捉える。これって、すごくロマンがあると思うんだ。考えただけでドキドキするけど、どこか慰められる感じ。私たちの世界がたったひとつの現実じゃなくて、無数に広がるマルチバース(多次元宇宙)の一片でしかないなんて。それを考えると、主人公の男は、過去と未来を自分の目で見てしまった。ふたつ以上の世界線の境界を肉体で超えてしまったんだ。それが悲しい結末を呼んだ。

でも僕たちは、不自由なシャバの世界で生きるしかない。あくまでも多宇宙の視野から見た地球上の生活の一環として。ということはつまり、自己の原点をしっかり定め、魂の守護を求めることが大事なんだ。だから、たとえゲームに夢中になったり、ちゃんと勉強しないとダメって親に怒られても、そんなのは今の狭い世界での話。

本当の自由ってのは、もっと大きな宇宙の中で自分を見つける旅なんだ。親が怒るのも、この広い宇宙の中の小さなドラマ。それを理解してるから、どんなに怒られても、また他人から馬鹿にされても、自分を見失わない。そう、私たちは、時間と記憶を超えた場所で、自分だけの生き方を見つけていくんだ。

映画「ラ・ジュテ」は時間と記憶について深く問いかける作品だ。運命と愛の残酷さも示しつつ、時間と空間の中でどう生きるかを考えさせられる。

まとめ

冷戦が第3次世界大戦とみなされるなら、対テロ戦争は第4次世界大戦という意見も成り立つ。「ラ・ジュテ」という映画は、過去の記憶がいかに重要かを描き、歴史の狂気や人々の苦悩について深く反省させてくれる。映画の中で行われる時間を超える実験は、過去の記憶が未来を救うという壮大なテーマを僕たちに示してくれるんだ。現代における歴史の狂気や人々の苦悩は、今もなお続いている。

「ラ・ジュテ」は、記憶と存在に関する深い問いを私たちに投げかける。それは、時間と記憶がからみ合い、運命と愛の残酷さを描きながら、時間の流れの中でどのように生きるべきかを問い直させる。多元宇宙の考え方を取り入れれば、我々の存在は無数の可能性の一つに過ぎない。それならば、現実の中で本質的な自由や魂の保護を見つけよう。そうした広い視野と深い思考を持つことで、親からの叱責や他人の批判にも動じず、ちっぽけな現実を超えた自己探求を続けられるのだから。

(*1)
持久戦・消耗戦という形で実は起きていた”第3次世界大戦”の戦時体制であった東西冷戦構造が崩壊し、一部論者たちが”世界内戦”とも呼び始めている第4次世界大戦=”まったく新しい戦争”体制へと移行していく(したがってつまり”戦争を知らない世代”など本当は存在しない)過渡期である”80年代後半から90年代前半”の10年間の経緯は、何度も繰り返し想起され検討に付されなければならない。

外山恒一2018『改訂版 全共闘以後』イーストプレス、p.378

(*2)
魂というものが持っている力の及ぶ範囲というものがあるような気がするんです。生まれ育った場所、自分の家とか村の中では、生まれ育った時から根付いているような力が働いているような気がしていました。それからどんどん先の方に峠を越えて出て行き、遠くなればなるほど、そこに引きつけて根っこが生えているような、磁力みたいな力というのが弱くなっていく、そんな印象を自分は持ちました。

緒方正人2022(2001)『チッソは私であった 水俣病の思想』河出書房新社、p.151


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