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あまり大きな声で言えない

 チョコレートを味わうこと、それを自分なりに表現することに興味をもったのはごく最近。きっかけのひとつとしてはクロエ・ドゥートレ・ルーセルさんの著書を読んでから。クロエさんは「自分の感じたことを恐れずに表現すること」が大切だというようなことを書いておられました。(手元に本がなく、正確な記述ではありません。ごめんなさい。)

 その言葉に勇気を得て、誰の評価も気にせず勝手にこちらにも書かせてもらっている。

 「味」「味覚」について色んなことを考える。

 父親は、ずっとひたすら自家焙煎のコーヒーをつくって、それを飲ませる店をやっていた。人(父親)としてはかなり首をかしげる存在なのだが、彼の「舌」や「味覚」は優れている。コーヒーの味がぶれることがないのだ。この味を残したいとおもって、技術的なことをかなり腰をいれて教えてもらっていた時期があった。

 ある日、いつものようにブレンドコーヒーを淹れてもらって飲んだ。味が違う気がしたが、そういえばわたしは月経中だった。月経中というのは、味覚が変わることがある。その時わたしは「こんなにも違う味を感じてしまうのなら、この繊細な仕事はできない」と強くおもった。

 いま考えれば、それはとても極端な考え方なのだと自分でもおもう。父だって、ときどきは感覚が鈍ったり、手元が狂ったりもするだろう。「いつもの味」が違ったときは、調整すればいいし、そもそも天気や季節で違って感じることだってある。でもなぜかその時は、無責任な自分の味覚で店を開いたり、お客さんからお金をもらうことに恐怖を覚えてしまって、あっさりと「できない」と決めつけてしまった。

 まあ、それはいい。いまは、その体験をしたことと覚えていることが自分にとって大切だと思う。おもしろい体験をしたなと思う。いまチョコレートを味わう日々を過ごしていて、もっと「自分が感じたことを信頼する」ことを学びつづけている。

 自分が感じた味わいや感覚を表現することがたのしい。そのことに共感してくれる人がいたらうれしいし、誰かの表現に触れることがまたたのしい、という日々をチョコレートと父のコーヒーのおかげで過ごしている。

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