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霧におおわれながらブッダをおもう

 このごろ仏教のことを、本で読んだり調べたりすることをしているんだけども、私はどうも、仏教にはいまひとつ親しみを持てないでいる。それでもお勉強とおもって、ブッダ(釈尊)のあたりと、法然上人と、続けてその生涯を追うなどしていたのだけれど、どちらもつかみづらく、霧がかかったみたいに不明瞭なことが多くて、おもしろくない気分になってくる。

 いま季節は梅雨で、山が隠れるほどの霧が出てむしむしする日々だけど、ちょうどこんなふうに、仏教のこと(とくに日本の)を追っていると、脳内に霧が生じてくるのである。

 ときおり、その霧がちょっと晴れるというか、さーっと流れて視界がとおるような、なにか見えたような気がするのだけれど、そうかとおもってもまたしばらくしたら霧が出てきたりして。
 まあ、そんな感じで過ごしています。

 ちょっとだけ霧が晴れた瞬間に考えたことを、うまくできるかどうかわからないけど書いてみようとおもう。

 ところでブッダというと、ずうぅっと前に姉のコレクションにあった手塚治虫氏のマンガ本が思いだされる。姉はこんなの読むんだな、とおもいながら、一気に読んだ。はじめの数話の、幼いシッダールタのかわいさが尾を引いて、ブッダというと手塚治虫氏の描いたシッダールタ時代の姿が浮かんでくる。

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 ブッダが誕生する以前の古代インドに成立していたバラモン教では、業報輪廻という考えかたがあり、これは業(行為)の結果として次の生が決まることを意味するものである。つまり現世の行為の結果が来世に影響することを意味していて、これには倫理的教説という一面がうかがえる。

 ブッダは、自身が見出した「縁起」において輪廻の説明をしており、つまりブッダは輪廻説をみとめていることとなるのだが、この輪廻という観念が引き継がれたことがふしぎにおもった。

 ブッダは出家する以前の、王子として暮らしているときから老い、病、死の苦しみに悩んでいたといわれる。ブッダの伝説などのうち、出家の動機を伝えるエピソードがいくつか見出せるけれど、史実なのかというとあやしいところだろう。ここにそれらのエピソードを示すことはしないけれど(よかったら調べてください)、そういった伝説などから考えると、ブッダは周囲の人々よりも感性が豊かというか、繊細な感受性をもった人物であったようだ。

 苦しみから解放されたかったブッダは出家をし、いくつかの修行ではそれを得ることができず、独自の方法で覚りを得た。ブッダは苦の原因(渇愛)を滅した境地を理想とし、それは解脱・涅槃を指す。

 「渇愛」というのは本能的な欲望を指すと考えられる。本能からくる欲望というのはたいへん強いもののはずである。そのような強い欲望をブッダは「再生の原因」としていて、「再生」とはすなわち輪廻によってこの世に再び生まれ、苦しみを得ることである。解脱という、輪廻転生しない存在形態を獲得することを理想としながらも、輪廻説を否定したり、除外したりはしなかった。

 輪廻転生が前提にありつづけたのはなぜだろう。仏教はその後、日本や中国などに渡って展開していくけれど、その過程でそれぞれの文化でも輪廻説は受容されている。インドにおいて大多数をしめるヒンドゥー教にもしっかり引き継がれている。まだよく調べていないけれど、インド以外でもそれぞれの風土にずっとむかしから似たような信仰が存在したんだろうか。

 感受性の強い繊細な王子時代から、覚りを得て入滅するまで、ひたすらに苦しみから脱する道を求めたブッダには、輪廻は耐えがたいものであったと想像される。輪廻からの解放を目指したブッダは、それでもなお輪廻という観念を引き継いだところに、人間存在の謎を感じる。

 もうひとつ。ブッダの生涯を追っていくと、先に書いたように幼いころから老いや病、死を恐れていたという。王子という何の不足もない環境に生まれ、いくら繊細で感受性が強かったといっても、子どもが生まれたとたん(この時点で社会的な役割を果たしたという文化があったようだ)に出家し、ひたすらに解脱を目指すほどおそろしがることが、どういうところにあったんだろう。

 そういうところはどうも、あまりにもむやみという気もしないでもないけれど、ブッダの時代背景のこともまだよく知らないし、引き続き頭のかたすみで気にかけておこうとおもう。

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 続けて法然上人まわりのことでおもったことも書くつもりだったけれど、別の機会にする。(トップ画像は東大寺の如意輪観音菩薩像)


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