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【私と本】聖人視することへの違和感

 久しぶりに河合隼雄さんの本を読んだ。
 この本の中で特に私が反応したところは、題名に書いたように誰かを聖人視することへの違和感だった。

 第4話で、ドイツの精神科医であるエリザベス・キューブラー=ロスという女性が話題にのぼっている。精神医学のお医者さんである彼女は、死にゆく人との関り方が大きく評価された人物だそうで、そういえば河合隼雄さんの他の著書でもこの名前を目にしたことがあった。
 それで、この方について、この対話の前年である1997年にドイツの雑誌に掲載されたキューブラー=ロス本人へのインタビュー記事が話題になったということあたりから始まる。
 私自身はこのインタビュー記事も、キューブラー=ロスの著書も読んでいないのであまり色々書ける立場にないけれど(まあ読んでいたとしてもだけど)、つまりキューブラー=ロス自身が死に臨む状態の中で、これまでの自分の仕事を意味のないこととして否定し、孤独で悲惨な状況にあるといったような発言をしたらしいのだった。

 それに対する河合隼雄さんの意見もすごかった。

彼女には、いわば聖女みたいなイメージがあるんだから、そのイメージに合わせて言おうと思えばいくらでも言えるわけですけどね。それはまったくおかまいなしに、ともかく自分の実情はちゃんと言わねばならないという、その姿勢にも感心しました。(河合隼雄 柳田邦男-『心の深みへ』「うつ社会」脱出のために- 147、148頁)

 生きている人間は、どうしたって人間だということを思い知らされる。誰かに対して、自分の中で(こんな人かな)とイメージするのは誰だって少なからずやっていることだとはおもうけれど、それが深化しすぎないようにはしておきたい。自分が持ったイメージがいつしか強い思い込みになり、その結果そのイメージを押しつけてしまうようなことはしてはならないとおもう。イメージはあくまでイメージであって、その人ではない。そういうところを取り違えて接するのはすごく失礼だし、下手をするとその人を深く傷つけることや、命がかかることだってある。

 この第4話を読んで、私はすごく違和感を感じた。そしてそのもぞもぞ感がまだ、続いている。こうして文章にしてみても、自分が何に違和感を感じているのか、もぞもぞの正体は何なのか、ちょっとまだわからない。もうしばらく考えてみようと思っている。

心の深みへ-「うつ社会」脱出のために-

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