陸路で行く伊王島
伊王島という島があって、ここに行くには以前は船便だけだった。2011年に橋が架かり、陸路でも行けるようになってから初めて行ってきた。
いつでも行けるとおもうと行かないものである。
伊王島では昔ジャパンスプラッシュというレゲエイベントを毎年やっていて、父や母と数回行ったと記憶している。確か小学生頃のことだった。懐かしい。
陸路で行く場合、香焼という地区を通るのだけど、ここもすごく懐かしかった。高校の同級生の出身地であり、そのころはときどきバスに乗って遊びに行った。彼女たちも今は結婚してよそに行ってしまった。
伊王島大橋を渡るとすぐに馬込教会が見えた。4月にTKさんと端島に行ったときに船から見えた教会で、行きたかったのだ。
この島で宣教を担当していたのはパリ外国宣教会のフランス人神父さまたちで、それをもってこの地に立ってみたかったのだ。
島の先まで車で走り、まず灯台をたずねた。
車を停めて歩いていくと、白い灯台が見えた。この灯台はイギリスのリチャード・ヘンリー・ブラントンという土木技師の設計らしい。天気が良く、日ざしが強かったが、灯台の陰は涼しく、しばらく座って海を眺めていた。風が気もちよかった。
伊王島灯台
最初に仮聖堂が建てられたのが1871年、その頃巡回していたのはブレル神父というフランス人神父だったそう。のちに伊王島の主任司祭に任命され、1880年に大明寺教会を建てた。この初代の教会堂は現在は愛知県の明治村に移築されている。
大明寺教会
聖堂は閉まっていた。
また島の入り口の方へ向かい、馬込教会への階段をあがった。こちらもやはり閉まっていたが、献金箱が外にもあったので献金をして、写真を撮らせてもらった。
馬込教会の建設はマルマン神父で、この方は黒島での活躍しか私は知らなかった。1927年に大型台風により大破し、1931年に現聖堂が建てられている。
馬込教会
ブレル神父は38歳の時に、ある事情で嵐の中を船で漕ぎだした際、難破船だとおもい救助に来た捕鯨船の船員に殺されてしまったらしい。当時外国人を見ると大金を持っているかも知れないというので、そういうこと(襲われる)がたびたびあったみたいだ。神のみ心ははかりしれない。
当時、長崎をはじめ九州の各地で活躍した、パリ外国宣教会の神父様方はざっと51人を数える。特に有名なド・ロ神父やプティジャン神父の他にもたくさんいて、一人ひとりのプロフィールをなぞると何とも言えない気もちになるのだった。
言葉もわからない異国の地に、文字どおり骨をうずめた彼らのことを、ほんの少しでも知ることで、私の中のなにかが反応するのだった。
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