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あのささやかなデコレーション

 ちょっとした報告用の資料をつくるのに手をかしてほしい、というので外海そとめ地区を訪問してきた。今日はたいへんな晴天だった。
 提出用として(スマートフォンで)ささっと写真を撮って聞きとりをしたあと、少しだけ自分用にも写真を撮ってきた。

 ちょっと前に、明治にこのあたりでいろいろな活動をした、パリ外国宣教会のド・ロ神父の手がけた建築物のことをちょっと書いた。何度も訪ねている場所だけれど、今日はまた知らずにいたその特徴のいくつかを見つけて、気もちが少しおどった。

 このところ、あるところに載せるちょっとしたテキストを準備していて、一旦仕上げたつもりになったもののアドバイスをもらいつつ見直して、追加で調べながら書き直しをしている。人目に触れる書きものをすることについて、あれこれと考えながらやって時間がかかっている。知ってほしい部分をいかに書き出すかを、しっかり見極めておかないと散漫な文章になってよくない。

*

 ところでいろんな人が観光しにやってくる土地にいると、旅行者にガイドがくっついてあちこち巡っている場面に出くわすことがけっこうある。この、ガイドというのがそれをおこなう人によって実にさまざまだ。
 歴史というのと、昔話というのと、伝説や言い伝えみたいなもののうち、ガイドをする人にとって大事なポイント、好みが違っているらしく、それによりいろんなタイプに分かれている。そういった中で個人的にあまり素直に受け入れられないのが、ドラマチックエンターテインメントガイドだ。つまり大げさで陳腐なやつのことである。
 このタイプのガイドは、訪れた人に対するサービス精神でもってやっているんだろうけれど、事実や史実よりも、またはその中から特にドラマ性のある部分を選び、さらにそこを誇張して話す。そういうガイドはごく浅い部分を掬いとって見せているに過ぎないような感じがして、どうもすっきりしない。
 読書でいうと拾い読みみたいなことで、おおよその筋はわかるかもしれないけれど、深い理解にはつながらない(と、おもう)。書き手が隅々まで言葉を選んで、組合せ、意味合いをもたせ、あるいは巧妙に潜ませ、カラフルにしたり、シンプルにしたり、試行錯誤して仕上げた作品を、味わいつくすことなく本を閉じられてしまう、そんなような気もちがして、せつない。

 それだからといって、事実だけをひたすら並べ立てて「はい次」みたいなガイドというのもいただけないけれど。
 これがガイドのあるべき姿だ! なんていうものは存在しないとはおもう。だけれどもやる側は繰り返しのガイドでも、それを受け取るほとんどの人にとっては生涯一度のこととして考えた場合、ガイドが定式になってしまうことや、どんな言葉や要点を選びとって伝えるかは、ときどき立ち止まっておさらいすることも大事なんじゃないかとおもう。
 その一方で、受ける側の人にもいろんなタイプが見受けられて、私が受け入れられないタイプのガイドを素晴らしいという人もいるのだから、いちいち目くじらを立てて何かをいうものでもないのかもしれない。

ス○○ムの意匠

 いろんな場所でいろんなガイドをする人、聞く人を眺めていて、あれこれおもうところはあるにしろ、まあ結局は他人の人生ではある。

 写真はもうちょっと撮ってきたんだけれど、noteに載せられないものもあったので過日のものも混じっています。

尖塔十字架のカラス

 と、いうところで納得のできるテキストを書けるように励まなくっちゃ。

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今日の「絶句」:あの例の「baby in car赤ちゃんが乗ってます」ステッカーを貼ってある車がぼこぼこになっているのを見ました。ちょっと依頼心にもほどがあるんじゃないかなという気がしました。

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