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喫茶店百景-サーヴィス-

 注文を受けて、コーヒーや軽食をつくり、お客さんのテーブルに運ぶ。地方の小さな喫茶店だけれど、サーヴィスの日々である。

 小学生から中学生時代のお手伝いといえば、以前も書いたけれど近所へのおつかいくらいだった私も、高校生くらいになってくるとときどき店の中の仕事もしていた。いつまで経ってもうまくできなかったことは、飲み物のサーブだ。

 うちではステンレスの丸いトレイを使っていて、そこにコーヒーカップや背の高いグラス類をのせて運んでいた。丸いトレイは片手の平に持ち、テーブルまで歩いて運ばなくてはならない。歩き方が悪いのか、トレイの上のカップの中身がゆらゆらしてしまう。ムズカシイ。

 私はガタイがいいくせに掌が小さく、指も短い。これは手足に共通していて、特に小指が短いため色んなバランスがよくないんだとおもう。足首の柔軟性にもいくらか問題があるみたいだ。

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川合かわいくんみたいになる/『Heaven?』(佐々木倫子)より

 父や母は、実に優雅に料理や飲み物を運んでいた。片手にトレイ、もう片方の手には料理を2皿も乗せて、スッスッと運んでゆく。恰好いい。

 コーヒーや紅茶を入れたカップは、背が低いのでぐらぐらすることはないのだけど、中の液体が揺れてしまう。ソーサーにこぼれてしまった場合は一度カウンターまで戻ってお直しする。飲み物が冷める…。
 アイスコーヒーやレモンスカッシュ、パフェなんかになってくるとグラスの背が高く、不安定さが増す。ひやひやしながら運び、無事にお客さんのテーブルに着いたら次に待っているのはテーブルへのサーブである。注文が1つならまだしも、トレイに数品のっている場合は両手のバランスに注意を払わなければならない。

 用心深い私は、近くのあいているテーブルに一旦トレイごと置いてサーブしていたから、お客さんの目の前でトレイをひっくり返すという失態を犯したことはない。この方法は恰好がよくないけれど(ぜんぜんよくない)、トレイをひっくり返すのがおそろしくて度々この方法をとっていた。少しずつ慣れてはいったけれど、恰好よくサーヴィスができるまでには成長できなかった。

 この他に、洗いもの部門でも私は不器用だった。シャツなんかを着ていて、エプロンをかける。洗いものをする場合、袖をまくりあげますね。濡れるから。私は肘が見えるくらいまでぐっとまくりあげていた。
 ところが、ふと父を見るとカフスのところを2回ほどまくっただけでとどめている。それでグラスやカップ、プレートを洗っても袖口がびしょ濡れになったりしない。うーん、どうしてだろう。ふしぎですね。

 うちの父は、体形がずっと変わらずやせ型で、店を閉じるまでずっとワイシャツ、ボウタイ、サロンエプロンという恰好が基本だった。サロンエプロンの結び目はきっちり一文字、お腹がでてないこともあって、途中で緩んだりしなかった。今でも20代のころのジーンズが履ける(持っているのもすごいが)。

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なで肩の父(30歳前後か)

 着こなし、身のこなしのスマートさはやはりこれまでの年月を経ただけあるとおもう。私には(当然ながら)身につかなかったもの。

 身のこなしって、どうやったらキレイになるんだろうか。保育園では日本舞踊を習っていたし、ピアノのレッスンにも6年間くらい通った。大人になってからは10年くらいフラを続けた。いま、それらの影はどこにも見られないのが残念で仕方がない。

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