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愛想のなさについて

 これは、小さいころからへばりついているクセというのか、性格というのか、とにかく私は愛想がない。赤ちゃんの頃から人見知りをして泣いて、両親の営む喫茶店でほとんど毎日数時間過ごしていたような子ども時代もそれで過ごし、周囲から大人扱いされる年齢まで続いた。

 何が原因かはわからない(原因があるのかもわからない)けどまあ、そういうことで損することも多かっただろうと想像する。

 そこのところに、生きる上でのいろいろの成り行きが重なり、数年前まで感情が凍りついたみたいになっていた。そして持ち前の愛想のなさも手伝って、私の表情はかたく、喜怒哀楽のどれなんだか見分けがつかないらしかった。

 2年前、友人が企画したツアーで久米島に行った。夏至を南の島で過ごそうというもので、ツアコンの2人といつか南の島に行きたいとおもっていた私は飛びついた。夢みたいな心地でその日を指折りたのしみにしていた。
 それははじめましての人が半分くらいいる、10人での旅で、私は自分の表情のかたさや感情の表現を、ふつう一般と比べてふり幅が小さいことを自覚していなかった。私にとってその旅はとても楽しみだったし、実際めちゃくちゃたのしかったのだった。

 この年、夏至の久米島の天気はいまひとつだった。海の大好きなメンバーなのに、灰色の海と空、シュノーケリングの予定日は暴風雨の嵐で船が出せるかどうかもわからない、そんな状況でもそのメンバーは大笑いして独自の楽しみを作り出していた。
 ツアコン2人の部屋をビーチに見立て(?)、カラフルなシートを広げ、アルコールやつまみを各自持ち寄り、パラソルを立てた。嵐が去ったらシュノーケリングに行けるかもしれないから、みんな水着のまま。
 そのころ流行っていたカードゲームでまた大笑いの大騒ぎ。誰も文句なんて言わず、その時できる範囲の楽しみを次々に繰り出しては笑う。

 お昼前にツアコンの携帯が鳴った。「午後からは船が出せそうです、どうしますか?」というハッピーな電話に、ツアコンはいちおう多数決を取りますと保留し、「シュノーケリング行く人!」と挙手を求めて手を挙げた人、3人。
 えええええええええー?! みんなカードゲームをたのしみすぎていて、出るかどうかわからない船より… みたいなおかしな空気が漂っていた。目的を思い出そう! と自分たちを奮い立たせ、シュノーケリングに行った。無事に船を出してもらい、またそこで思い切りはしゃぐ。

 10人の大人がそろいもそろって、こういうことを3日間ひたすら続けていてあっという間に時間が過ぎる。私は心から満たされていた。

 最後の日のランチ、おしゃれなカフェでツアコンのひとりのRRさんが不安げなまなざしで私に訊いた。「緑紗、たのしい?」
 最初、私は意味がわからなかったが、どうも私の態度がクールすぎて、たのしいんだかそうじゃないんだか、わからなかったそうだった。もうここ何年かで言ったらめちゃくちゃたのしくて、はしゃいでいた(つもり)だった私は心底驚いた。「すっごくたのしいです!」と答えたら、「たのしんでもらえてたんだ~。よかったあ~」とほっとしていたRRさんを見て、申し訳ないきもちになった。

 その旅の帰り、それぞれがグループメッセージにコメントを送り合っていて、私もコメントを書いていたらいつの間にか泣いていた。まだ公共の乗り物に乗っていたのに、涙がとまらなくなって、ずっと泣いていた。ここでやっとほんとうに感情が動いたみたいに。

 次の日から熱が出始めた。バカンスに行っておいて仕事を休むのは気が引けたけれど、休みをもらって寝ていたらどんどん熱があがる。意識がもうろうとする中でツアコンのひとりにそれを伝えたら「緑紗の中のエネルギーが動いて熱が出たっちゃね(宮崎弁)! たのしかったねー!」と返事がきた。
 ウン、たのしかった。

 だれかと一緒に過ごして、その共有する空気とか、たのしさとか、好みが合っておいしいねとか、おもしろくて笑っちゃうこととか、言われてかなしいこととか、イヤとか好きとか、そういうのぜんぶ表情や言葉で伝えないと相手には伝わらない。こんな基本的なことがいつの間にか自分の手のひらから滑り落ちていて、気づかずに何年も過ごしていたのだった。

 それからは、ちゃんと表現するとか、ちゃんと伝えるとかを、しっかりやっていこうとおもった(チョコレートテイスティングもそこに通じる練習のひとつだったりする)。

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青島のビーチ

 昨夜は、友人と2人で夜ごはんに行く予定で、宿泊先のそばのお店を予約してあるからねと言われていた。待合せをし、その店の予約席を開けたら久米島メンバーの半分くらいの顔が並んでいた。わー! っておもったし、今回会えないかもとおもっていた顔ぶれだったし、めちゃくちゃうれしかったけどやっぱり100点の表現ができなかった。これは自分の採点。
 こんな私のこんな性質をわかってくれている人たちで、やさしい。私はそこに甘えてばかりはいられないから、ちゃんと伝える努力をしていこう。

 その夜はとってもたのしかった。ずーっと笑ってて、ずーっと幸せっておもっていた。
 みんなで久米島の思い出話、10人もいるとみんな覚えているポイントが違ったりして(この日は6人だったけど)「そういうこと、あったねー!」でまた笑う。

 はあ。たのしかった。

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