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喫茶店百景-なるべくなら口は閉ざしておこう-

 これは喫茶店(客商売)という世界に生きてきた、父や母の影響が大きいなとおもうことを書く。

 父は大学に通ったけれど、途中で何かをおもったのか、在学中からアルバイトをしていたK市の喫茶店での仕事に魅了され、その方面に進んでいった。地元に帰ってきてからは、当時喫茶店やバー(パブ)などの店舗数をぼちぼちと増やしていた、Jという店で働くようになった。ここで本格的に焙煎をしだして新規店舗を任されたり、後輩たちの指導にあたるようになったと聞いている。まあ昔のことで、こういうことはだいたい大きく膨らませて話しているものなので、話半分と言った感じで聞いていただきたい。

 喫茶店やバーといった場所には、色んなお客さんがきて、色んなことを話す。つまり多くの人の人生を垣間見るということになって、それはけっこうな秘密だったり、重い過去だったり、意外な一面だったりする。そしてそんなことを知ったり、感じとった父と母の態度を、そばで見ていて感じたことは、ふたりとも口がかたいほうだということだ。
 特に父や母から、なるべく口を閉ざしておくようになどと言われたことはないけれど、まあ、そうでなければこういう商売には痛手となることも多いのだろう。何しろ信用はだいじである。

 そういうふたりを見て育ったからか、私の口も軽くはない(とおもう)。だいたいにおいて、しばらくは黙っていて様子をみたほうがうまくことが運ぶといった場合が多いし、他人のうわさ話というのもあまり聞きたいともおもわない。
 でもあまりに口をかたく、かつ表情にも出さないようにしているせいで(自然にそうなる)発言のタイミングを逃すこともすごく多い。こういうところではずいぶん損をしている(ただ頭の回転が遅いだけというのもある)。

 どっちがいいとか悪いといった話ではないです。

 今でも私は、まず口は閉じて様子を伺うという態度をとりがちになる。時にはそういう自分の態度をずるいなと感じることもある。人の出方を見るみたいに感じる人も多いかもしれない。だけど誰かが(自分が)発したちょっとしたことで、思いもよらないところに影響を与えてしまうこともあるのを想像するとこわいのだ。今みたいに情報が瞬時にかけめぐる時代なんかは特におそろしいのだ。把握できない力学というのはこわい。

 いつ何を言うかとか、どんなふうに言うかとかは、私にとってはだいじなことだとおもっていて、注意深く生きているつもり。もちろん若い頃はそういう自分の性質をわかっておらず、失敗したこともあるけれど、できれば今後は避けて生きていきたい。


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