地団駄を踏めたらどんなに楽だろう

喉が渇く。

家を出る時にはちょうど良いと思えた気温も、50分歩いた今となってはひたすらに暑苦しいだけだ。

飲み物を買う事も出来ず、この暑さの中このまま歩き続けると倒れるのではないかと思い、木立が影を作る公園のベンチに逃げ込む様に座った。

強すぎる憎しみを誰にもぶつける事も出来ず、私は地面を睨んだまま動けないでいる。

隣町の駅のドラッグストアにしか売っていない美容クリームを買いに家を出た。
何かが足りない気がした。
何かを間違っている気がした。
でもそれが何かは分からなかった。

ワンピース一枚でちょうどいい初夏の日差しを浴びながら歩く。

公園からアコーディオンの音色が聞こえて思わず立ち止まる。
寂しい曲調だがどこか懐かしく、ずっとその音色に耳を傾けていたくなる。

でもいつまでも立ち止まっている訳にもいかず、すぐ歩き始める。

半袖姿の人とすれ違う。

舗装された歩道の両脇には手入れされた植物が植えられている。
色とりどりのツツジが初夏の訪れを待ち構えていたかの様に咲き誇っている。

親子連れが緑の中に虫を見つけたらしく、母親が草木を指差し「ほら、飛んだ。あそこ」と嬉しそうに子供に教える。
子供は母親の指先に目をやると、虫を見つけた様で「いたいた」と興奮している。

綿菓子の様な入道雲が出ている。
私はスマホのカメラを構える。

カップルがベンチでお弁当を広げている。

そんな光景を愛おしいと思いながら隣町に到着した。

自販機で何か買おうと、ショルダーバッグを開けて、家を出た時に感じた「何かが違う」の理由を知る。
財布がないのだ。

幸せな気分は一気に砕け散る。
幸せだ、と感じた自分のおめでたさに地団駄を踏みたくなる。

叫んで泣いて辺りのものに当たれたら楽になれるのだろうか。
私は今、そうしたいと感じている。
でも私にはそれが出来ない。

知的障害者には平均年齢が低い、と自称する人がいるが、そんなものは知能検査のどの項目にもなかった。
少なくともウェスクラー式にはないのだ。

主治医に自分の精神年齢を訊ねた時「そんなものあってないようなものです。考える意味がないです」と一蹴された。
私は精神年齢は存在し、目の前の患者はそれが低いから言葉を濁したのだ、とその時は思った。
しかしあれは本音だったのだろう。

知的障害について調べるとIQによって精神年齢が区分けされており、私は12歳程度になるらしい。

馬鹿らしい。

私が本当に精神年齢12歳なら、今頃、財布がないとその場に泣き崩れ、怒り狂い周りから白い目で見られているに決まっている。

大人の私は目を閉じて深呼吸をして回れ右して来た道を引き返す。

美しく思えた花たちに目もくれず私は歩く。
毛並みの汚れた猫がうろうろしている。
ヒールの中の足の裏が痛い。
歩き回ったせいで体が熱い。
お気に入りの長袖のワンピースを着てきた事を後悔する。

ようやく家まであと10分を切ったところで、アコーディオンの音色が聞こえてきた。
まだ老人はアコーディオンを弾き続けていたらしい。

喉の渇きと疲労でもう限界だった。
疲労は体だけではない。
精神的にも疲弊しきっていた。
自分を罵って憎んで苛立って疲れ切っていた。

私は老人から少し離れたベンチに座った。
アコーディオンの音色を聞きたかったからだ。

知らない曲が流れている。
戦争中に兵隊さんを送り出す時に流れていそうな曲だと思う。
別離、郷愁。
その曲は聞く者にそんな印象を与えた。

私は財布を忘れてきた事に苛立っているんじゃない。
知的障害である事に苛立っているのだ。
この障害のせいで今迄どれほど損な役回りを押し付けられてきたろう。
私は足元の地面を強く睨みつける。

音楽が変わる。
でも曲調は先ほどの曲とあまり変わらない。
別離、郷愁。
そんな言葉がよく似合う曲。

隣町までの交通費をケチったからこんな事になったのだ。
お金はあるんだから明日電車で隣町に行こう。
化粧品以外にも欲しいものは何だって買ってしまおう。

やけくそな頭でそう考えると溜飲が下がってくる。

アコーディオンの悲しいメロディーは終わり、聞き覚えのある曲が流れてくる。
童謡の「ふるさと」だ。

メロディーに合わせて心の中で歌詞を口ずさむ。

うさぎおいしかの山
こぶなつりしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたきふるさと

きっと歌詞はこれで合っているはず。

良かった。ちゃんと覚えている事もある。
まだ、全てを失った訳ではない。

懐かしいメロディーは荒んだ気持ちを少しずつ浄化する。

この曲が終わったら立ち上がろう。

それからゆっくり歩き出そう。

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