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あの頃の僕は、自由に生きて死んだ

あの頃の僕は、やけに苦しんでいた。

今は楽になった、とはとても言い難いが、

明らかにその種類は異なる。

あの頃の僕が、思い悩んでいたこと。

そのほぼすべては、既に諦めがついてしまっているのか。

今となっては考えることもしない。

Tumblerに当時の僕の投稿が残っていた。

世界に怒っていて、自分に辟易していて、それでいてすべてへの理解に必死だったようだ。

この世界。自分自身。人間関係。

答えが出ていないようで、それは答えだった。

剥き出しの心。

なぜ忘れていたのか。なぜ考えることもなくなったのか。

あの頃の自分に還りたい。

やめてはいけなかった。あの苦しみ方。

変わってはいけなかった、大事な部分。

あの言葉が欲しい。

どのように生きていたんだろう。

数多のしがらみに苦しみながら、

どうしてあれほど自由だったんだろう。

今の僕の中に、あの頃の僕はまだ生きているのか。

もう一度目を開かせたい、是が非でも。

もういなくなってしまったなら、また生まれてほしい。

あの感情を、あの思考を、もたらす僕。


当時の僕を知っている友だちに電話をした。

彼女との思い出は、時折鮮明に思い出される。

僕は授業を抜け出して、

階段の下。取り壊し予定の校舎。施錠された教室の扉。

君も授業を抜け出して、僕を見つけた。

目が合って、その姿を覚えている。

でも、何を考えていた。

何を話した。

その後どうした。

思い出せないその記憶が、僕をあそこに留めている気がした。

何かを教えてくれる気がした。

だから君と話したくて、連絡先を探した。

彼女は数年振りにも関わらず、そんなことは全然感じさせない口調で、

ふわふわしていて、

目を離したら

消えちゃいそうな

そんな人だったって言った。

僕はずっと、そんな人になりたかったのに、

あの頃の僕が、そんな人だった。

僕が目指していたのは、過去の自分だったのか。

わからない。

周りから見えている自分と、自分が思っている自分。

その乖離に、

まだ、慣れることはできない。


そして僕は、今苦しんでいることを話した。

僕の世界では、受け入れられなかった思いや感情を、

彼女は何でもないことのように聞いてくれた。

あんなことに思い悩むのも、

こんなことを考えてしまうのも、

彼女の世界では普通で、

そういった人間を受け入れる器があるらしい。

ああ、もしかして。

君になら言えてしまうかもしれない。

ガッカリしないで。引いたりしないで。嫌いになったりしないで。

僕の話がしたい。

そうしたら、あの頃の僕がまた、還ってきたりもするのかな。


この時代に生まれてよかった。

あの頃に、僕が思い、感じていたこと

その一部がインターネット上に残っている。

それは、僕が還るためのヒント。

時の流れとともに、

否応なく移ろいゆく人間の姿。

変わらずに変わり続けるために、

また始めよう。

僕の根っこの部分には、

あの頃の僕が、まだいると信じて。

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