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福祉に入った志望動機

私、25歳の時に勘違いが原因で福祉の世界に入ったものです。大学を卒業して25歳になるまではやりたいことをしたり、挫折したり、少し休んでみたり、働いてみたりと自由に生きてきました。そんな男が安定した仕事を探そうと職業案内所で検索し、あるページを見つけました。

「特別支援学校の教員補助の短期(2か月)臨時職員募集」必要な資格(教員免許)なし、業務内容は教材準備、簡単なパソコン作業と記載されていたので学校の事務の仕事だと思い応募しました。

幸いなことに働かせていただくことになり、学校に行くと高校生の教室に誘導されました。この時やっと理解しました。「事務の仕事でなく、生徒と接する仕事」だと。僕の役割は学生たちの教師というよりは学校外の地域(社会)で暮らす人との交流相手の意味が大きかったのではと推測します。

これまでの人生で福祉の勉強をしたことがなかった私には毎日が新鮮でした。特別支援学校は普通科の高校と違って、知識よりも技術を学ぶカリキュラムが多く、卒後に向けて社会で働けるようになる「学びの場」でした。

私が働いていた時期は高校3年生の卒業が迫った3学期でした。今後の進路を決める時期です。新たな環境への不安はどの家庭も感じており、それはとても慎重にどの選択肢が「幸せ」なのか悩まれていました。

中には子供と親とで希望する進路(親は障がい者雇用のある一般企業を希望、子は就労継続B型事業、就労移行支援事業の福祉施設を希望)が異なり、いまだ決まっていない家庭もあったようです。社会に出て活躍するという意味では親の意見の方が正しいように思えますが、そこに「子供の意志が乗り切れていなければ、あまりいい方向にはいかないのかな」と今になって思います。(実際、社会に適応できず福祉施設に通所するケースも多い)

その子に必要なのは準備期間なんだと思います。社会に出るために本人の中にある現状の課題を整理する事、課題解決に向けてビジョンを立てて解決していく事、そして本人が自発的に自分の働く場(目標)を設定し、自ら努力を始める事、この手順を踏んで初めて社会人となれる気がします。

人は誰しも何かを抱えて生きています。それは自分でコントロールできることだけでなく、周りの協力(理解)が必要なこともあり、時には自分だけの責任で及ばず周囲に迷惑をかけてしまう場合があります。何かを変えるときは本人の努力だけでなく環境を整える必要があります。

私はこういう子をサポートしたくて福祉の世界に入りました。その子にとって理解者の一人になれるように。そして障害を持った方が人生を選択する選択肢を広げるために。あくまで本人の思い(主観的な視点)を大切にしながらもその中にある保護者の思い、そして支援者の思い(客観的な視点)のギャップを擦り合わせ、何が本人にとって幸せな人生か、そして本人の意思決定を尊重し、支援することが私の仕事の最大のテーマです。

私、noteでは結構大きな規模(社会全体に向けて)のことを書いていますが、今はやっぱり携わってる人が幸せになる事、不幸にならない事の方が大事です。優先順位は現場が1番、noteなどの啓発活動は2番です。その中で自分がすべき(したい)仕事を見出し、そこに向けて努力を継続していきたいと思います。私にとってこのnoteはその一つです。

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